2013年3月26日火曜日

【俳文】札幌便り(6)


三月の太陽が隠れると粉雪が舞い、もう積もらずに溶けるばかりの札幌です。半年ばかり続く、長く思い入れのある冬も去ります。今回は、旭川のみなさまをはじめ、北国の方々の句を一寸借りてみたいと思います。「ゆく春」誌3月号より。

酒藏の深い眠りや冬の月 (名寄 鈴木のぶ子)

名寄は、旭川のさらに北。稚内との間にあります。二月の夜に降り立ったことがありますが、駅前はややさびしく、降りしきる雪が大気のようにがっぷりと町に覆い被さっていました。

にしん漬のみが宜しき茶づけ飯 (札幌 諸中一光)

にしんは北の魚。札幌のスーパーでは、にしんの刺身を売っています。「小骨に注意」のシール通り、ときどきちくりと刺します。

冬木の芽息の細さは生きる術 (旭川 谷島展子)

言い得て妙。旭川は、まつげも凍ると聞きます。わたしはまだそこまでの体験はなく。

一枚の皿に音ある凍夜かな (旭川 高取杜月)
きっちりとマフラー巻ける昭和人 (同じく)

台所は、うちでも暖房を切った深夜には、10℃を割ります。「昭和人」の響きのノスタルジーにマフラーの模様まで目に浮かぶよう。

四日はやコーヒーを挽きペアカップ (旭川 渡辺タミ子)
遠き子の写メール届き初日の出 (同じく)

コーヒーは好きで、旭川の街でも喫茶店、焙煎するお店を回りましたが、なかなかにこの街はコーヒーを愛しています。軒数も多い。「写メール」は、きっと東京は高尾山の山頂から望んだ日の出かなにか、ではないか、と勝手に想像します。北海道では、どんなに小さくても山は雪山ですし、旭川は内陸、札幌は日本海寄り、となれば、初日の出を拝むのは、「遠き子」の便りになるのも、自然な気がします。

ここからは、春の拙句を。

札幌のひと傘を差す別れ雪

北海道のひとは、雪に傘を差さない、と言います。こちらの雪は、コートがはじくから濡れないのです。それが、ある日、示し合わせたように街の人々が傘を差しています。「ああ、もうびちゃびちゃと溶ける雪なのだな。」と、納得しました。

春雨やまだ傘差さぬ怒り肩

同工異曲の句。そんな札幌の雪も、いつしか雨に。長い冬が終わる感慨。氷の層となっていた根雪も、ついに、じゃりじゃりとアスファルトを見せます。

氷解く自転車でゆくおじいちゃん

札幌では、自転車は約半年しか乗れません。なぜか、春先に見掛けるのはおじいちゃんが多いのです。

あかときを待とうつもりが朝寝かな

札幌の夜明けはいささか遅く、早朝に目が覚めると、朝日を迎えたい気持ちになりますが、また目を閉じて寝過ごしてしまいます。朝がだめなら夕べを。春は午後のカフェもよいです。

しるしるとシェードを上げぬ春夕焼

雪景色を遠ざけるくらい、赤みが差すのです。