2013年7月28日日曜日

詩情


「あなたにとって、人生で一番、大切なものは。」——そう尋ねられたら、どうだろう。多くのひとは、物質的な話をやめて、精神的なことがらに思いを馳せるのではないか。

ひとは、幸福について考えるだろう。たとえば、「安らかな気持ち。」平穏な生活が続くこと。明日も、できれば、明後日も。

「家族」と答えられるひとは、すでに十分な幸福を築いたひと、かもしれない。小さな子供がいて、妻と(夫と)仲睦まじい。幸福感。

ほかにも、芸術に触れること、小説を読むこと。
スポーツにおける快さ、躍動する感覚。

恋愛における「ときめき」を大切にするひともいる。味わう想いや切なさが貴重だと感じるひともいるだろう。

仕事の満足。ビジネスにおける成功にかぎらず、自分のライフワークに打ち込むこと。

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いろいろなことを書いたが、僕にとって、いま、一番大切だと思えるものは、詩情だ。

詩情、それはたゆたうもの、移ろいゆくもの。

僕は、ほとんど詩を書かない。けれど、それでも詩情はある。旅する風景のなかにも、一杯の珈琲のなかにも。友人と交わす会話のなかにも、午前の陽を浴びるときにも。

そして、それは芸術的な霊感のようにおおげさなものではない。詩歌を紡ぎ出せるインスピレーションでもない。

たしかにそれは気持ちのありようだが、名前をもっていない。愛情や慈しみの偉大さでもなく、ノスタルジーのように浸れる感傷でもなく、涙とともに我を忘れる感動の類でもない。

胸のうちに泉のように湧き上がって、こぼれ落ちる水の流れ。言葉にも、すぐれた作品にもならない。

ただ、その詩情に身を委ねること。その詩情とともに、たゆたい、移ろうこと。どこへゆくという目的地もなく、連れ立っていること。ちょうど、思い出される音楽のように、心がいつも、静けさのなかで歌っている。

そういう詩情をもつことが、僕にとって人生で一番、大切なことだ。