2014年4月6日日曜日

自律神経失調についての覚え書き

 僕はかれこれ10年間、「自律神経失調(症)」とおつきあいがあるのだけど、これについてまとまった文章を書いたことがなかった。

・個別の例としてでなく、一般的なことがらとして語りづらい。
・自分の病歴・症状を客観視しにくい。

という理由によるが、いまなら一区切りつくような気もして、かんたんに書いてみよう。いま、身の回りや自分が「自律神経失調」という言葉にかかわりあるよ、というひとにとって得るところのあるように。

◆千差万別の症状
 自律神経失調の特徴は、症状が千差万別ということ。不眠や頭痛、胃腸の不具合から、「虚弱体質」(と、僕は言われている)まで。ひとによって、また同じひとでも時期によってばらつきがある。

 そして、急いで注釈をつけた方がよいと思うが、「自律神経失調」は「正式な」病名ではない。一時期、あらゆる医学的によくわからない不調が自律神経失調症と名づけられたことから、「病名のゴミ箱」として廃止された。このあたりの事情は、アメリカ精神医学会の診断マニュアル(DSM)が日本でスタンダードになっていることによる。だから、逆に言えば、権威を無視するならば、依然として「自律神経失調」という病名を使うことは可能で、事実、「その方が実態には合っている」と言う精神科医もいる。

◆理解されにくい症状
 一般的な説明はこのあたりで切り上げて、僕の実感から来る話にゆきたいが、とりわけ困るのは「理解されにくい」ということ、「なんと説明していいかわからない」ということだ。ひとつには、人によって症状が千差万別だから、だが、どうも似たような苦しみを抱えている知人の話を聞いていると、共通する状態もある。

 それは、「身動きができない」というような状態だ。とにかく苦しい(息苦しい、からだ全体に重い不快感、過呼吸になるひともいる、etc.)。どこがどう、というのは体験していないひとに説明するのは難しいが、あえて例えれば「熱のないインフルエンザ」みたいなものか。だるさ、朦朧とする感じ、全身の重み、など。とにかく、「しんどい」という言葉が一番ぴったり来る。

 この状態は、僕も何度も体験していて「神経衰弱」と言ったりもするのだけれど、やっぱり健康なひとには伝わらない。「神経がわななく(震える)感じ」と言っても、よくわからない。ともかく、一部の自律神経失調のひとは「しんどくて動けなく」なるものらしい。そのときには、まずはからだが「しんどい」のだが、連動して精神的にもまいってくる(落ち込んだり、悪い方へものごとを考えがちになる)ことも多い。

◆対処法:波のこと
 さて、それでは「対処法」としてはどうすればよいのか? もろもろの症状を含め、実際に「しんどく」なってしまった場合には「ほとんどどうしようもない」というのが当たっているのだが、「波」について理解することが助けにはなる。

 波とは。経済の好況・不況のような、体調の波のこと。そして、マクロと中期とミクロの波が経済に(たしか)あるように、体調の波も季節の変わり目からひと月程度、また、一日のなかにも(とくに調子の悪い日は)波がある。

 それで、「波」をどうするかだが、「見守る」こと、これが大事。一週間くらい調子の良い日が続いたら、「このあと不調の日が来ても仕方ないな」と思う。それは来ても、1日、2日で「抜ける」(ひどい気分や体調が去る)だろう。自分の波が見えているかいないかによって、「安心感」の面で大きな差が出てくる。たとえば、二日間ひどい状態がやってきても、「いままでの流れから見て、週明けには大丈夫になるだろう」と楽観できれば、精神面でも社会的な面でも楽に構えられる。

 しかし、経験上、波をコントロールすることはほとんどできない。ふだんから「無理をしない」といっても、結局、わるくなるときはわるくなる、というのが実感だ。だから、(僕よりずっと年上の経験者もおっしゃっているが)あぶないと思ったら「家でじっとしている」しかない。嵐が去るまで待つようにやり過ごすしか方法はない。受動的で残念かもしれないが、必ずよい方の波は来るので、それを信じて待つ。「パニック障害(*)で死んだひとはいない」と言うけれど、自律神経失調のわるい状態が好転しないこともない、といまは僕も思っている。
 
 おおざっぱな説明だが、パニック障害とは、自律神経失調の一種で、苦手なシチュエーションに直面したとき、また、不調な波が来たときに、精神的に恐慌状態(パニック)に陥り、身体症状も引き起こす。

◆対処法:日々のこと。運動、食事、睡眠。
 それでは、なにもできないのか、というとそんなことはなくて、わりあい元気なとき(よい波が来ているとき、また、まだわるくはなっていないとき)にできることがある。それは、健康に関する本を読んだり、医者に聞いたりすれば、誰もが言うように「運動、食事、睡眠」をきちんとすること。

 それよりもう一歩進めて、マクロビオティック、ハーブ、ヨガ、太極拳、オーガニック、整体(鍼、ロルフィング) etc. 「健康によさそうなこと」はいろいろあるし、程度の差はあれ、僕もあれこれ試してきたが、これらは人それぞれに相性もあり、タイミングもあるので、一概には勧められない。お金もかかる。こういうものを自分の生活に採り入れるのもよいが、まずは「運動、食事、睡眠」からだと思う。

 この三つについて細かくは書かないが、「運動」はウォーキング程度でとりあえずは十分。決まった時間にジョギングとか、ましてスポーツをやろう、としなくても、それがきちんとできるからだなら困っていないよ……という話。ラジオ体操ほか、いろんな体操もよいと思う。「無理のない範囲で」が合言葉。

 「食事」と「睡眠」は、三食、栄養バランスのよいものを、間食は控えめに、夜は10時頃には寝て、朝はなるべく同じ時間に早起きする。「運動、食事、睡眠」のどれも、体調によっては難しい場合もある(例:不眠のケース)。

 それで、こういった対処法によって体調が改善するのにかかる時間だが、僕は試行錯誤を含めて10年、闘病して最後の2年くらいでやっとなにかを掴んで、ほんの少しよくなった、という感じ。20代初めに発症して、50代半ばになるまで「つきあい」続けて、根治はできない、というひともいる。たぶん、僕も完治・根治はないだろう、引きずりながら、社会のうちに道を見つけるしかない、と思っているが、それでもいまより「よくなる」ことはあると希望をもっているので、10年でも20年でも「つきあい」続けよう、と考えている。

◆楽観について。
 きりがよいところで、文章を終わってもよさそうだが、もう少し希望のあることを書きたいし、いま自律神経失調に苦しむひとにはそれが必要だと思うので、もうひと言。
 
 これは、僕が「先輩」から教わったことなのだが、「楽観的でいること」の大切さがある。自律神経失調の場合、「病の終わりが見えない」ケースも多いのはさきに書いた通り。ただでさえ10年、20年、となると「そんなに長い間これで苦しむなら、人生投げ出したくなる」こともあると思う、とくにからだの不調から「落ち込み」が来ると、鬱病ではないのだが、抑鬱的な気分になることはある。
 
 こんな風に、自律神経失調のひとは、「人生全般」の長い見通しと、「わるい波」が来たときの短い気分のふたつで、落ち込みがちだ。そのどちらも「楽観」しよう、というのがここで言いたいこと。そうやって、楽観的に構える方が楽だ、という気分がいまは僕もわかるようになってきて、アドバイスをくれた先達に感謝している。