2014年5月16日金曜日

僕の好きな虚子の句(上)

高浜虚子(1874-1959)の句はどれも好きなのですが、今回、『虚子に学ぶ俳句365日』という本を見つけて面白く、そこから二十句ほどを選びました。もともとある解説をふまえ、ひと言を加えてゆきます。

犬ふぐり星のまたたく如くなり

「イヌノフグリは、ピンク色」であり、「虚子の詠んだのは、おそらくオオイヌノフグリのほう」。青紫の花が、明滅する星のように見えてくる。

肴屑俎にあり花の宿(さかなくず まないたにあり はなのやど)

「花見の宴のために酒の肴を用意したのでしょう。お皿に盛り付けたあとの俎に、切れ端などの屑が残っていました」。たとえば、そんな情景が浮かぶ。ひとけのない台所、肴の屑、そこに「さび」を感じさせながら、「花の宿」とほのかに明るく桜色に結ぶ。

遠足のおくれ走りてつながりし

遠足は春の季語。「この句は、おくれる、走る、つながる、と三つも動詞を用いています」。それによって、「動的な景」を描く。列がまばらになり、先生が「ほら、急いで、詰めて」というようなことを言いする風景が微笑ましい。

大いなる新樹のどこか騒ぎをり

「「新樹」は初夏の新緑をたたえた木。」「この場合、音が聞こえるというよりも、動きに「騒ぎ」を感じるのでしょう。」風景の全体がざわめきだつような句境の大きさ。

軽ろやかに提げて薄暑の旅鞄

「薄暑」は、初夏のやや汗ばむような暑さ。解説者は、ほかの季語ではこの句のようにまとまらない、と言う。たしかに、薄暑だからこそ、「軽ろやか」にも涼しさが出る。

バスの棚の夏帽のよく落ちること

「麦わら帽子でしょうか。」「室内に入って帽子をとる段になると、とたんにかさばる荷となります」。つば広で、網棚に乗せても揺れればころころと落ちる、それも夏らしい。

コスモスの花あそびをる虚空かな

「気ままに風に遊ぶコスモスの姿が見えてきます」。ここでは、「虚空」のような堅い、イメージのむつかしい語を、「あそびをる」のようなやさしい大和言葉と取り合わせたことで、調和が生まれている。

僕の好きな虚子の句(下)に続きます。

【書誌情報】『虚子に学ぶ俳句365日』、『週刊俳句』編、草思社、2011