2015年2月3日火曜日

【おはなし】ファウスト来札


ドイツの魔術師ファウスト博士がはるばる札幌にやってきました!

おつきの悪魔メフィストフェレスにそそのかされて、こんな風に吹き込まれたのです。

「あなたは季節のことをご存じですか?めぐりくる四つの季節というものを」
「もちろん!それは移りゆき、とどまることのないものだ」
「なるほど」

メフィストフェレスはほくそ笑みました。



「それでは、わたしが四季のはっきりした美しい国、北海道へお連れします。ついでに、あなたに青春の若さも与えましょう!それでもし、あなたが『季節よ、とどまれ。おまえはあまりにも美しい』と叫ぶことがなかったら、そのときはなにもとりあげません。ですが、もし口にしたらあなたの魂を……」

「またつまらぬ案をひねり出したな!だが、旅ならば歓迎だ。ゆくぞ、北海道へ」

こうして、ファウスト博士は札幌の円山へ降り立ったのです。

「いまは何月だ」
「五月ですよ。博士」

メフィストフェレスが答えました。「ほら、ごらんなさい。あの色とりどりのチューリップを」


「ふうむ、これが北国の春か!すばらしい公園だ。色だけではない、形もさまざまのチューリップがあちらこちらと咲き乱れているぞ」

ファウスト博士はさっそく画帳を出してスケッチし始めました。

「造化のわざはとてつもない。だが、酒はないのか?向こうから乱痴気騒ぎが聞こえてこないか」

ファウスト博士はメフィストフェレスの魔法で若返っていましたから、さっそくエゾヤマザクラのお花見に混じりにゆきました。

「乾杯!乾杯だ」

六月、ファウスト博士は大通公園に来ていました。ここは札幌を横切る緑地帯です。「向こうにはなやかな女たちがいるぞ、ピクニックしている!」

そこにはドイツからの観光客もいました。うら若い乙女と白ワインを飲みました。

「昼間から飲むなんて素敵ね。太陽の光も」
「おお、そうだとも。短い夏を楽しもう」

ふたりは緑の芝生のうえで踊り出しました。みんなが歌を歌いました。

「六月の楽しみは
リラの酒
人生を酔わせてよ、このとき
初夏を告げる恋の歌」

ふたりは花壇の前で抱き合いました。

仲良くドライブをして富良野へゆき、七月のラベンダーを見ました。

「みて、すばらしいラベンダー畑よ」
「ああ、だがひとが多いな。すこし暑いみたいだ」

それからも、ファウスト博士は八月の太陽はやりきれない、という顔をしました。実りの秋はあっという間にやってきて、道産の美味しいものをたくさん食べましたが、ふたりには別れの季節となりました。


「ああ、おれも老いてきたようだ。メフィストフェレス、どうやらおまえの魔法は季節とともに弱まるようだな」
「ええ、もう十月ですから、あなたも中年というわけ」

「肌寒いな」とファウスト博士はセーターを着込みました。十一月になると雪虫が飛び交い、初雪がみられます。

「ドイツを思い出すな。どことなくさみしい、いや、心の疼く寒さだ、この季節はいかん」

ゆきつけの居酒屋から狸小路(たぬきこうじ)へ出ると、木造の建物の前を銀色の雪虫がふわりと舞いました。

「こうして、十二月。聖なるクリスマス。大通公園は光の装飾に乱れ、プレゼントを買いたい客はデパートにあふれる」

ファウスト博士はひとりぽつねんとベンチに腰を下ろしました。メフィストフェレスがおどけました。

「サンタのつけひげはいかがですか?」
「道化め」

真っ白な一月が過ぎ、青白い二月になりました。

「節分か」
「恵方巻きはどうですか?」

メフィストフェレスに珍妙なものを勧められて、ファウストはいぶかりました。

「なんだそれは」
「近頃の風習です。どっかの方角に向かってかぶりつきます。縁起がよいのですよ」

「ばかばかしい」と苦々しげに吐き捨てましたが、やっぱり念のため、かぶりつきました。

「ああ、これでおれも阿呆の仲間入りだ」

翌朝も外は吹雪でした。昼なのか夜なのかもわからないほど。ところで、隣に住むおばさんが犬を連れてさんぽにゆくのが窓から見えました。

「おれも自らの人生の犬だ。あいつらについていこう。首に輪でもぶらさげてな」

ファウストもとぼとぼとついてゆきました。雪の積もる路面はそれでもよく滑りました。転ばないようにますます歩幅を縮めて、ファウストはペンギンのように歩きました。


おばさんと犬は公園に入りました。そこらは一面の雪です。ブーツがなければ、とても奥までゆけません。ファウストもゴム長靴を履いて、東洋の水墨画のような景色のなかを歩きました。

そのとき、忽然として雪が降り止みました。風がおさまり、静かに明るくなり、白樺林の向こうに青空が広がりました。

「どうしたんだ、これは」


さっきまで灰色に染まっていた白樺は真っ白い樹皮をあらわに、雲は立ちのき、北海道ならではの薄いブルーの空が開け、砂糖菓子の小さな粒を広げたようなふわふわの新雪がひかりに輝きました。


北国の空は移ろいやすいもの、ほんのひとときのことです。ファウスト博士は思わず感嘆とともに叫びました。

「季節よ、とどまれ。おまえはあまりにも美しい」

すると、ぶ厚い曇り空から、天使のはしごと呼ばれる光が落ちて、メフィストフェレスの率いる合唱のなかで、ファウスト博士の老いたからだがふわりと浮かびました。

「さあ、約束通り、あなたの魂をいただこう。あなたは季節のことわりにかなわなかった。ひとのこころに動かされた。ゆくがいい、青空へと昇ってゆきなさい」

犬を連れたおばさんも「あれまあ」と見上げました。

ファウスト博士は手を振りました。

「もっとも美しいのは冬なのか。北海道の四季をえさにして俺を釣り上げようとは、あやつの悪知恵にはかなわない。俺でなくても魂を奪われてしまう」

合唱

四季は移ろい、とどまるところなし
ひとを包んで大いなる自然はめぐる

終わり