2015年9月10日木曜日

自由


自由について、たびたび考える。いつでも「自由」をおそらく一番、大切なものと思ってきた。こんな風に考えることもできるーー

たぶん、ほんとうの自由とは、天から授かった使命を果たすこと、ネイティブ・アメリカン風に言えば、グレート・スピリット(大自然の精霊)から与えられたヴィジョンに従って、ゆっくりと穏やかに生涯の仕事を終えること、なのだろう、と。


「使命=ミッション」というのは西洋的な言い方だ。天職のようにして授かるもの。もっとも、誰もが使命を授かるのかどうか知らない。また、ネイティブ・アメリカンのヴィジョンについては過去記事を参照してほしい。

とはいえ、自分のゆき方——「使命」や「ヴィジョン」「道」を見据えて、ほかのことを気にかけずに進んでゆけるなら、そのひとは自由だ。

大学1年生のとき、自己紹介の冊子になぜか「自由が好き」とひと言コメントを書いたのを覚えている。そして、いまでは、自由であることは倫理的な態度だと思っている。

自由に生きていたい、どこまでも。

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以下、リンク先の過去記事より。

"ネイティブ・アメリカンには「ヴィジョン・クエスト」なるものがある。「ヴィジョンの探求」といった訳になるけれど、たとえば、ある部族では少年が村から何キロも離れた丘のうえで穴に入り、毛布にくるまって三日三晩過ごす、という儀式がおこなわれる。

その間に少年は夢をみる。そのなかで、「ヴィジョン」をつかむ。それは天啓のような映像だ。それを年長者が読み解いて、その子の将来(部族のなかでの役割)を決める。この一連の流れがヴィジョン・クエストである。"