2016年2月27日土曜日

【本の紹介】プラトン『饗宴』中澤務訳


エロス(愛)とはなにか、について討論が交わされる『饗宴』の新訳。光文社古典新訳シリーズのコンセプト「いま、息をしている言葉で」読みやすく訳されている。ほかにもよいところがいくつもある。


まず、このシリーズによく見られるが、丁寧な解説がついている。全体が要約されており、本編を読み終えたあと、エッセンスをさらえる。また、この解説では、古代ギリシャに独特の風習「少年愛」について、近年の研究成果を反映している。ここは本編の理解にも深くかかわるため、なおありがたい。

それから、ユニークなのはディオティマという不思議な女性(登場人物のなかで、ただひとり実在が疑われる、ソクラテスにエロスを講義した人物)を、これまでは貴婦人の口調で訳されてきたところ、「今回の訳では、あえてディオティマに男性的な口調で語らせています。それは、神の知恵を伝える巫女のような存在として」(訳者談)彼女をキャラクター付けしたかったから、とのこと。これが格好いい。

こうした易しい言葉遣いと背景の説明、ディオティマの個性が引き立つことで、新訳はずいぶんと新鮮に、まっすぐに読み手を引き込むものとなっている。すぐれた訳業だと思います。

あとは、内容の個人的な覚え書き、としての感想になります。一般的な「書評」としては以上で終わりです。

◇ ディオティマの哲学(=プラトンの哲学)が開陳されるところで、「ふだんの話し言葉では、こういう表現は使われない、だから退けるべきだ」という指摘がなされる箇所がある。哲学という営みは、一般に、特別な概念をこしらえて、ふだんの言葉遣いから離れてゆく傾向があるのに、ここでふだんの話し言葉へいったん立ち戻る、という姿勢は新鮮に思えた。ヴィトゲンシュタインが後期の哲学で、日常言語を大切にして思考したことを思い出した。

◇ ホメロス(イーリアスとオデュッセイア)からの句の引用が、台詞のなかに何箇所も挿入される。これは、日本の昔の知識人が漢詩や漢籍を引用したように、文学的かつ知的なアクセントとして一般的だったのかな、と気づく。

◇ 「饗宴」では、酒席にある仲間たちが次々に演説をぶつものの、本命はあくまでソクラテス。だけれども、プラトンの技巧は、彼らの演説を通して、思想や修辞の多様性を示すばかりでなく、なにより文学的な彩りを添える。思想書なのに、場面が浮かぶ、イメージが豊か。ちなみに、解説によれば、ひとりは、当時の流行であったゴルギアスの弁論術を模倣させるなど、これらの演説は歴史的な記録としても価値があるようだ。

◇ ソクラテスが本命の思想を述べ終えたあとで、余韻に浸る間もなく、酔っ払いのアルキビアデスが乗り込んできて、騒ぎ、酔った勢いでソクラテス賛美をおこなう。どことなく可笑しさのにじみ出る愛嬌あるキャラクターで、彼の演説で本作は締められる。この構成は、当時、悲劇の上演のあとサテュロス劇という悲喜劇を締めにもってきたことと対応しているのかもしれない。ユーモア漂う、著者の余裕も漂う、物語の終わり方。

【書籍情報】
『饗宴』、プラトン、中澤務訳、光文社、2013