2016年3月5日土曜日

【本の紹介】アリストテレース『詩学』ホラーティウス『詩論』


古代ギリシャとローマの権威が詩作について語る。1997年に出た新訳で、注も充実している。解説も岩波にしては分量が多い。読みやすく、わかりやすい訳書であると思う。

アリストテレースの『詩学』は、主として悲劇論である。古代ギリシャには、ホメロスのような叙事詩、喜劇と悲劇、その他の歌曲や舞踏があったが、詩作(ポイエーシス=創作)のなかで、ほかのジャンルの要素をすべてもっている、いわば一番多くの要素から成り立つ包括的なものが「悲劇」である。こう、アリストテレースは述べ、したがって『詩学』でも悲劇を扱う。

『詩学』は、ミーメーシス(再現、模倣、真似)という言葉の導入から始まり、悲劇は再現するものである、と言われる。そして、人間は子供の頃から真似をする生き物であり、また、真似(模倣)を見て喜ぶ。こういった「人間は〜する生き物である」という原理的な考察から始めるのは、いかにもアリストテレースらしい。

さて、話題を悲劇に絞ると、悲劇の目的(テロス)は、あわれみとおそれの感情を通じて、カタルシス(感情の浄化)を引き起こすこと、と言われる。だが、カタルシスの概念は、詳しくは説明されない。(あるいは、散逸した部分で説明されているのかもしれない)。ともあれ、カタルシスが起こるのは、「認知」と「逆転」によることが多い。これらはあとで説明されるが、かんたんに言えば、「正体の知れなかった人物が、誰だか明かされる」「真実がわかる」ような場面が「認知」、栄誉をもつ者が転落したり、王様が悲劇的な場面に見舞われるのが「逆転」である。

少し先走ったが、これらは「筋」(ミュートス)に組み込まれる。ミュートス(筋)は、単なるあらすじではなく、起承転結や出来事をすべて含む、物語のうねりのようなもの。引用すると、「筋は悲劇の原理であり、いわば魂である」。次に大切な要素は、登場人物の「性格」をつけることである。ここは、読んでいて面白いな、と感じたが、2300年前から今で言う「キャラクター」が大切である、と認識されていた(!)のだ。

ほかに「思想」「語法」「視覚的装飾」「歌曲」の要素が挙げられ、上と合わせて6つの要素から悲劇は成る、と言われる。

そして、解説者によれば、『詩学』の肝要は以下の点にある。「アリストテレースによれば、筋(ミュートス)は、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方でなされる行為を再現するものでなければならない」。「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」がキーワードである。

つまり、悲劇の流れには、ある種の自然さがなければならない。それは近代小説のような意味での「リアリティ」ではなく、神も英雄も登場する神話世界の出来事を描くにあたってのリアリティ、ないし自然さであり、観客が見ていて、いかにも「ありそう/必然的」と感じられることが大事なのだ、ということだろう。アリストテレースは悲劇は「普遍性」をもつ、それが大切だ、とも述べるが、それは、現実世界の人間にも響いてくるような「ありそう、必然」をひしひしと感じさせる悲劇ならではの普遍性なのだろう。

『詩学』の後半は、上の6つの要素の分析と、叙事詩についてのコメントをもって終わる。主要な思想は以上で紹介できたと思う。

次に、ホラーティウスの『詩論』だが、こちらは分量も短く、断片的であり、アフォリズムのように書かれ、また残っている。詩論と呼ばれるが、これ自体が詩であり、同時代の詩人たちを諷刺したり、観客に受けるコツを伝授したりしている。アリストテレースの演繹的な分析手法のあとでは、世俗的なことわざのようにも思える。

【書籍情報】
『アリストテレース 詩学 ホラーティウス 詩論』、松本仁助、岡道男訳、岩波文庫、1997