2016年3月7日月曜日

【エッセイ】夢と記憶


夢と記憶の間柄は不思議だと思う。ここのところ、夢を鮮明に見るようになった。場面がはっきりと浮かぶし、夢から覚めても少しの間はそれを思い出せる。どんな夢だったかを、おぼろげながら言える。


医学によると、ひとは一晩のあいだに150から200の夢を見るそうだ。もちろん、そのほぼすべてを覚えていないわけだが、脳波をチェックすれば、わかるという。

また、目覚めたとき、夢を覚えているからと言って、眠りが浅かった、というわけでもないらしい。深い眠りを含む場合でも、結局、たくさんの夢を見るという。

僕の夢は、場所で言うと、祖父母の家が出てくることが多い。現実のものとはちがっていたり、肝心の祖父母が出てこなかったりするが。そこでは、家族や親戚が登場人物になる。友達もふっと紛れ込む。木造で古いイメージ。

他方、場所がもっと非現実的な空間の場合、ーー見も知らぬ街、喫茶店、100階建てのビルや、広くてホテルのような合宿所などーーほぼ必ず、中高時代の友達が出てくる。小学校の友人も、たまに登場する。なぜか、二十歳以降に知り合った仲間は、ほとんど出てこない。

僕にとって、中高時代は「学校」という枠のために密な関係はあったものの、とくべつ幸福であったり、不幸ではなかった。かなり自由で恵まれた時間だったことに感謝はあるが、多幸感はない。いまでも親しくつきあう友人はごく少数。どうして、夢には彼らがしばしば出てくるのか、わからない。

もうひとつ、夢に出る祖父母は亡くなったのだが、祖父母の家と、その家のあった町並みはいまでもふとした瞬間によく思い出す。もう通うこともないのか、と考えると、実感が湧かない。半ばは現実の、半ばは懐かしさを伴う思い出のもとにある白昼夢のような、祖父母と、その家である。

これらの記憶が、夢を作っているのかと思うと、驚きもあり、慈愛の感情もある。夢を見るのは、どことなく幸福なことである、と思える。