2016年5月18日水曜日

【ご報告】哲学カフェ第2回@札幌

日時:2016.5.18. 13-15時
場所:珈琲とお菓子 つぐみ
参加人数:11名
参加費:1000円+ワンドリンク

札幌での哲学カフェ第2回目は、「幸福」をテーマに開きました。


このような案内のペーパーを配りました。

〜・〜・〜・〜・〜・〜
【今日の流れ】
ご案内〜自己紹介〜哲学カフェ(途中休憩)

【本日のテーマ】
幸福

【哲学カフェの始まり】
1992年、パリのオープンカフェにて。「ソクラテスのカフェ」と呼ばれる。00年代に日本へ。専門家ではなく市民が、前提となる知識を必要とせずに、「哲学」について語り合う場(イベント)です。

<大切なこと>
問いかけ
吟味すること

<約束事>
ひとの話は丁寧に聴く
あまり長くしゃべりすぎない(自己主張の場にしない、次へつなぐ)
問いを発することを大切にする
〜・〜・〜・〜・〜・〜

主催者によって、いろいろなやり方があるかと思いますが、今回は上記のように定めました。

さて、さっそく始まります。今回はスヌーピーのクッションを用意して、それを受け渡されたひとがしゃべる、というルールを採り入れてみました。


話題は多岐に及び、まとめることもせず、拡散しましたので、箇条書きにします。

・「幸福」と「幸せ」はべつか。
・一般的な幸福の定義と、個人の記憶や経験の蓄積の結果として幸福と感じることはべつだろう。
・わたしは主体性がないので、自分が幸福だと感じたことはない。他人とのかかわりのなかに、幸福はあるものだろうから。
・自分を幸福とも不幸せとも感じない。実感としての幸福という感情を味わったことがない。
・昔と比べていまが一番好きなので幸せ。幸福は、過去と比べるものかもしれない。
・(喜びを味わっていて、かつ)他人に対して罪悪感を感じないとき、幸せを感じられる。
・幸せは他人に伝えたくなるもので、分かち合うもの。
・かつては自分にないものを探していたが、九死に一生を得る経験ののち、自分にあるもので幸せを感じられるようになった。
・幸福の実感とは、なんとも言えない感覚であり、他者の評価やお金、損得とは関係ない。自分の表現をパーフェクトにできれば、それが幸福である。

このあたりで約1時間。休憩を入れて、席替えもしました(15分ほど)。さて、後半。

・たえず何かへ向かっている、近づいていく喜び。欲求を伴う。
・欲望が満たされれば幸せだとは言えない。
・アランの幸せは、ニュートラルな状態を保つこと、だと思った。そうやって折り合いをつけていくことの大切さ。
心の安定が得られると、チャレンジ精神が湧く。いまが幸せだからこそ、向上心も持てる。
・若いうちは多くを欲してため込むけれど、年を重ねると捨てる、削ぎ落とす喜びが幸せになる。(断捨離やミニマリズム)
メーテルリンクの青い鳥
・社会的な規範がしっかりしてくる(人権や権利が守られる制度)と、幸福が作られる。
・いまの状態を正しく認識することで、よりよく生きることができる。

主宰の木村からは、最後に、「幸福には、規範的な側面があるのではないか。たとえば、世間から、幸福でいなければならない、というプレッシャーを受けるような」とコメント。

こうして、「ソクラテスのカフェ」の精神にしたがって、「問いかけ」を大切にしたため、あっちへ問い、こっちへ問い、「答え」や「結論」は得られませんでした。それでよいかな、と思っています。

次は「吟味する」に重点を置いて、第3回を開けたら、と思います。(日曜日の夜に!)


今回も、珈琲とお菓子 つぐみのご夫妻にはお世話になりました。お越しいただいたみなさま、関心をもって見守ってくださったみなさまもありがとうございました。またお会いしましょう。

主宰・文責:木村洋平