2016年6月2日木曜日

【本の紹介】レヴィ=ストロース『野生の思考』


構造主義の発火点となった本。未開人と文明人は異なる、という西欧優位の文化人類学に対して、構造の観点から批判した。

全体を要約はできないので、ブリコラージュ〜トーテムとカースト〜抽象と具体の3点に絞って面白みを紹介したい。


まず、はじめに器用仕事(ブリコラージュ)の有名な概念が説明される。ブリコラージュは「ありあわせ」の手持ちの材料で仕事をすること、として原始的な仕事の方法、のように解説される機会が多いように思うが、レヴィ=ストロースの狙いはそこではない。

ブリコルール(器用人)が仕事をするように、野生の思考者たちは、手持ちの記号(たとえば、自然の動植物)を使って神話的な体系を作る。それは、記号作用として集合を変換する。敷衍すると、自然や氏族の体系、女性や文化の体系のあいだに立ち、それらを構造として同じものとしながら、変換する。(たとえば、トーテミズムでは、自然の動植物の集合と、人間の氏族の集合とが対応する)。これが、ブリコラージュを冒頭にもってくる含意である。

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次に、トーテムとカーストだが、レヴィ・ストロース以前には、トーテミズムは外婚制(外の氏族と血縁を結ぶ)、カーストは内婚制(カースト内で結婚する)であり、また、トーテミズムは自然を模写しようとし、カーストは職能分化である、と対照的に理解されてきた。これに対して、レヴィ=ストロースは、どちらも同じような構造のもとにある、と説く。

トーテミズムにおいてもカーストにおいても、自然の体系(鷲、熊、カラス…)と文化の体系(職能集団、人間の機能)のふたつがあり、その中間項として女性の体系(婚姻交換の法則)がある。この構造は共通しており、ただし、トーテミズムにおいては自然の体系で人間(女性)を異なるものにしながら、機能としては同じ人間を、交換する。逆に、カーストは文化の体系で異なる人間(女性)を交換する。

このあたりはトーテムとカーストの入り交じったパターンもあり、食物禁忌の理解も関連して、周辺では曖昧さもみられるという。

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最後に、抽象と具体について。野生の思考においては、抽象と具体の直線みたいなものがあり、どこまでも抽象化が進むと「右と左」「戦争と平和」といった、単純な対比にゆきつく。他方、どこまでも具体にゆくと個人の名前に出会うのだが、これはラッセルの言う「論理的原子論」の極限としての固有名詞ではない。

むしろ、具体性は理念的にはどこまでもゆけるのであり、固有名というのは、実はそれ以上はほとんど分類されない、という分類の一形態に似ている。固有名は、親や死んだ親戚の名前を組み合わせてできており、その点では、植物のラテン語名による分類に似ている。クラスの組み合わせによって名前が、固有名ができている。そして、このことは西洋文明が動植物に対してしていることであり、なんら「未開」の証ではない。

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こんな風に構造主義は展開されてゆく。構造主義そのもののポイントは、構造は要素と要素の対応ではなく、それらの関係性の体系同士の対応であること。また、要素はそれ自体で意味を確定してもつのではなく、「示差的」に、すなわちほかの要素との差異において、その要素たりえて、体系のなかで意味をもつことだ。

感想としては、レヴィ=ストロースが「未開」と「文明」の断絶をなくし、構造主義のもとで対等を主張したのは良心的であり、また、文体は文学的でもあると思う。野生の文体、と呼びたくなるような、観察(文化人類学の)・考察・批判が混交したもので、正直、読みやすくはない。他方、タイトルの "La pansée sauvage" が「野生のパンジー」とも訳せるというように、花をもってくるなんて粋で楽しい。けれども、そんな戯れる文学性とともに、構造へと還元されていくテクニカルな冷たい手も感じる。

表紙は、パンジーの絵である。

【書誌情報】
『野生の思考』、クロード・レヴィ=ストロース、大橋保夫訳、みすず書房、1976