2016年6月3日金曜日

『遊戯哲学博物誌』への感想、その2


公開・販売中の『遊戯哲学博物誌』(http://www.play-philosophy.com/)への感想、まとまったものの2つめをいただきました。感謝。


先日、掲載した感想が「書評」に近い大局的で理知的な文章であったのに対して、こちらは詩的なエッセイ風の文章で、独自の感触を言葉にされています。

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『遊戯哲学博物誌』というタイトルから「哲学書(学術書)」をイメージして本書を開くと、読者は少し驚くかもしれない。本書が、イメージしていたそれとはだいぶ趣が異なるからだ。ただ、どう違うのかと言われるとそれをうまく語ることができない。そこで抽象的、比喩的になってしまうが、本書がどんな佇まいをしているか書いてみようと思う。

 大海のど真ん中を筏にあるいは小舟に乗り、島々を渡っていくような本。それが本書を読み終わったあとの印象だった。本書は断章形式で書かれており、その断章と断章のあいだを著者は軽やかに移動しながら繋いでゆく。その様子は、数々の島(「精神」や「記憶」、「自由」、「幸福」といった断章ごとに設定されたテーマ)に立ち寄っては、思考し、また広大な大海へと思考の旅を続けるかのようだ。

 それは宛てのない旅に見えるが、しかしまったく助けがないわけではない。過去の哲学者や文学者の思想、世界の現象などを羅針盤に、「遊戯」というキーワードを北極星にしながら著者は思考を続け大海を行く。読者は本書を読みながら、著者のそのような思考の航跡を辿ることになるだろう。そういった意味で本書は“思想紀行文”と名づけることができるかもしれない。

 著者による思考の旅という遊戯を眺め終わったとき、読者もまた大海のど真ん中にいることに気づくのではないだろうか。そしてきっと、著者と同じようにあの遊戯を始めたくなってしまうのだ。紀行文はそれを読んだ者をわくわくさせ、旅へと駆り立てる。本書の場合は、読者を思考の旅へと駆り立てるだろう。
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あなたも哲学の船旅に出てみませんか。本書を携えて。(^_^)