2016年6月10日金曜日

S.ワインバーグ『科学の発見』と人文学

ふだん、時事ネタは扱わないのだけれど、日本での科学史家による議論が少なすぎると感じたので、ちょっと書いてみよう。

朝日新聞のインタビュー記事(2016年5月8日朝刊)でも取り上げられ、また新刊『科学の発見』でも話題になっている科学史の話。


朝日新聞のS.ワインバーグのインタビュー記事より抜粋。

「アリストテレスはバカではないが退屈です。プラトンの著作はわりと面白いが、しばしば愚かです。」(デカルトについて)「明らかに彼の科学の手法はよいとは言えなかった。」

* 読書感想文か。「彼の科学の手法はよいとは言えない」のは、現代の科学に照らしてである。しかし、スタンダードな科学史家は、当時の知の状況全体(≒「科学」)と歴史の変遷に照らして、その知の営みを位置づけてゆく。

「私は、科学者、特に物理学者であることがどういうことか明確な感覚を持っています。観測や実験から得た情報に基づき…(略)…より統一された理論を目指す。それが科学です。」

* 物理学の統一理論だけが「科学」なのか?

「科学とは、自然を学ぶ方法のことです。それには正しい方法が存在するのです。本のタイトルを『科学の発見』としたのもそのためです。『科学の発明』では、社会が異なれば別の科学が発明されるような響きがでてしまいます」

* 西洋文明の現代の物理学中心の科学だけが、唯一「正しい方法」、正しい知のあり方かのような印象を生む発言。

ワインバーグについて、欧米では大論争になっているらしく、それはT. クーンも読んでいないだろう「科学史」の本が話題を呼び、入門書らしく扱われている状況に、本来の科学史家たちが危機感をもったからだと思う。検索したかぎり、日本の科学史家たちはまだ、さほど話題にしていないようだ。

* 進歩史観への批判の声はあるようだけれど、好意的な論評もある。また、早野龍五先生のような良心的な物理学者までツイートで『科学の発見』をおすすめしている。

ちなみに、僕がざっと読んだ感想はこんなところ。

「科学史の基礎訓練を積んだ者なら、これが単調な進歩史観にすぎず、面白みもなければ、数ある方法論やありえる反論を踏まえてもいない不勉強な独断論に見えると思う。入門書としても人気が出ているようだけれど、従来の本をおすすめ」。

悪いことを書くのは気が進まないけれど、ノーベル物理学賞を取った人物が、人文学においては素人どころか、先行文献に当たることすらしない。「思考する」こと自体ができていない。

この状況は残念だけれど、だからこそ、人文学が下支えをしてゆかなければ、世の中からものごとの見方、考え方の多様性さえ失われてゆくでしょう。

人文学の立ち位置を再確認する出来事でした。