2016年8月26日金曜日

思いつくままに…「薄情」な世界で

思いつくままに、「薄情」な世界で、というテーマで書いてみたい。

とあるサービス業の方から聞いた話では、いま、定年以後のひとびとは、しがらみや濃密なコミュニティのようなつきあいを嫌がり、趣味や旅行に余暇を(おそらく家族単位やひとりで)使いたがる傾向にあるらしい。

ここで、またべつのご高齢の方の言葉を思い出す。世情によく通じた方だが、「日本では会社って家族だったから。それがいまは崩れているけれど」。

結局、会社=家族のなかで終身雇用を生きてきたひとは、もう昭和の「人情」に縛られたくはない、ということなのだろう。ベタベタ、どろどろした人間関係はこりごり。そのトレンドは、しかし、若い世代も同じであるように見える。

つまり、「人情」「情に厚い」というのは、もう流行らない。ドライで冷静に「気持ちのよい人間関係」をキープし続ける。けれど、それは結局、「薄情」な世界で生きることになるのじゃないかな?

ところで、社会福祉の場面でも、「ひとの良心や愛情、親切に頼るのではなく、制度論を。制度の改善を」という論調は、ここ数年、とみに高まっている。これは正論だとは思う。だが、制度で回すのが正道だから、人助けはいらない、ということにはならない。

そこで、では、情に厚ければよいのか、という問題に移るけれど、これは「情に脆い」「周りを巻き込む」ことと紙一重だから、情を大切にするならば、同時に「けじめをつける」「落とし前をつける」(昭和風な言い回し!)、かっこよく言えば「筋を通す」ことが必要になるにちがいない。

そういうのは、「無頼」と呼ばれる世界とも関係がありそうで、僕はその時期の作家たち(戦中・戦後を生きた)を読みたいな、といま思っている。色川武大の『うらおもて人生録』なんて、ほんとうに面白かった。

マツコ・デラックスは、著書の『世迷い言』シリーズで「いま、無頼と呼べる女優は寺島しのぶくらい」と言っていた。減っているし、芸能界でもトレンドではないのだね。

こんなスマートでクリーンで礼儀正しくも薄情な世界で、よりよく!生きてゆきたいね。お互いに助け合って。