2016年11月15日火曜日

日々、話せる相手がいること


日々、話せる相手がいることの大切さを考える。主に家族や恋人、学生ならゼミやサークルの仲間。そのやりとりが安定した健康な生活を築きやすくする、と。

"出掛けるときに「気をつけて」と家族から声を掛けられる子供は、そうでない子供より事故に遭いにくい" という調査結果をどこかで読んだ。

きっと「無理しないで」「大丈夫?」といった声掛けも、同じような効果をもつだろう。

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社会人になると、新たな友人を作りにくくなるし、旧友や仲の良い友達でも、1年に1度会えたらよい方、というようにつきあいの頻度が変わる。

そんななかで日常的なやりとりができるのは、プライベートでは、家族や親戚(血縁)、恋人や配偶者、ごく親しい友人くらいだろう(残念ながら、男性は職場以外で、頻繁にやりとりする同性を持ちづらいように思う)。

ここで大切に思えるのは、「人生相談をする」「恋愛感情を満たす」といった大きな問題より、むしろ単純に、なんでもよいから今日(最近)あった出来事について話す、ということ。

その積み重ねが、自分では見落とす点に気づかせたり、健康を意識させたり、知らず、精神を安定させる。

このことの重要さと、いかにそれを得るのが難しいかに思い至る。もっとも、誰もがいつでもそうだ(日々の話し相手を必要とする)とは言えないが。

* そうしたやりとりは、ある程度まで、SNSで代替できるかもしれない。


現代は本当に、「ひととの関係に深く立ち入らないこと」を美徳と考え、また、ひとづきあいの指針とするような時代だ。だからこそなおさら、と思う。