2017年6月14日水曜日

カレル・チャペックの小伝

チャペックの元別荘、いまは記念館のはず

20世紀前半に活躍したチェコの作家、カレル・チャペック(1890-1938)(日本では紅茶のブランドとしても有名だ)の作風と生涯をかんたんにまとめてみたい。


カレル・チャペックは、ユーモラスな絵といっしょにどこかのどかな作家としてのイメージが流布しているのではないかと思う。本国を除くと、日本は世界一チャペック好きな国らしい!

ちなみに、あのユーモラスな絵は兄のヨゼフが描いていることが多い。兄のヨゼフは幼い頃からカレルを可愛がり、ふたりは生涯の大半をともに過ごした。ヨゼフ、兄嫁とカレルの3人で暮らしもした。

兄のヨゼフと。犬や猫が好きだった

「のどかな作家」というのは、『長い長いお医者さんの話』(童話)や『園芸家の一年』、楽しい挿絵の旅行記などがよく知られているからで、ここからユーモラスな作家像も浮かぶ。

他方で、長編の作品を見ていくと「ロボット」の語源となった『ロボット』(チャペックが発明した言葉だ)のほか、人間を洞察する三部作、ナチスを批判したもの等々、リアリズムが目立つ。さらに、もともと自分をジャーナリストだと自覚しており、生前の執筆活動は多岐に渡った。

実は、童話も園芸エッセイも含め、かなり徹底的なリアリストと見るのが正しそうだ。ただし、子供のような好奇心と強い凝り性を持ち合わせ、多趣味だったため、作品がきまじめにならず、面白みを増す。

そういうわくわく人間チャペックは、大変社交的でもあり、「金曜会」を開いて友人・文人らを招いたり、たくさんの書簡を国境をまたいで著名人と交わしたりしていた。

ちょっと躁とも言えるほど活動的なチャペックだが、子供の頃から虚弱でのちに持病ももっていたという。1938年、園芸のために真冬に外へ出て無理をし(周りの注意を聞かない)、そこから肺炎になって死んだ。ナチスがチェコへ侵攻する前年のこと。兄のヨゼフは強制収容所で1945年に亡くなっている。

1932年以来、ナチスの台頭を憂いていたジャーナリストで知識人のチャペックだが、その生涯はオルガとの15年にわたる恋愛から結婚も含めて、作家、社交家、趣味人としても幸福なものだったのではないだろうか。

『カレル・チャペック 小さな国の大きな作家』、飯島 周、平凡社新書、2015