2019年5月19日日曜日

母語のアイデンティティ

写真は、べつの友人の新刊
カナダに住む友人とおしゃべりする時間あり、母語の大切さについて教わった。

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「わたしにとっては、日本語がアイデンティティなんです」と友人は言う。
そして、インターナショナルスクールに行った日本の子供の話をしてくれた。

その子は小学校の頃から英語を学ぶ環境にいたが、成人しても基本的な漢字が読めない。結局、国際結婚をして英語圏に住むが、ネイティブからは「あなたの英語力は足りない」と言われる。

そのひとには「じぶんの母語はこれだ」と思える言語がない。拠り所がない。それはアイデンティティに直結する。

六カ国語を話せても、ひとつの母語をもてないひともいる。

そもそも、こんな話はすでにもっと著名なひとが語っていることなのだが。第一言語を大事にして、マスターすべきだよ、と。

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では、母語が身についた、と言える基準はなにか。

それは、他人から言語について欠点を指摘されたとき、ほんとうに迷うか、ぱっと振り切れるか、だという。

実際に、カナダにいて、じぶんよりも漢字にくわしいカナダ人から「あなたはこんな漢字も読めないの? 日本人なのに!」と言われたことがあるらしい。けれども、「それは読めなくてもかまわない漢字で、一般に読めないひとも多い」と思える。そのことでアイデンティティは揺らがない。

でも、第二外国語である英語はちがう。友人はすでに20年か、30年は英語圏に暮らしているが、英語のまちがいを指摘されると「わたしが常識的なことを知らないのではないか?」と迷いが生じる、という。

そこが「母語」たりえるかどうかの、大きなちがいらしい。

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カナダの友人は「日本の学校教育はすごくしっかりしている」と言っていたけれど、これから、いろいろな面でおおいに変化するかもしれず、また変化せざるをえない部分が増えるだろう。

ことば。

言語。

母語。

自分を支えるもの。じぶんのからだに、思考に、こころに、染みわたっているもの。