写真は、べつの友人の新刊 |
□ □ □
「わたしにとっては、日本語がアイデンティティなんです」と友人は言う。
そして、インターナショナルスクールに行った日本の子供の話をしてくれた。
その子は小学校の頃から英語を学ぶ環境にいたが、成人しても基本的な漢字が読めない。結局、国際結婚をして英語圏に住むが、ネイティブからは「あなたの英語力は足りない」と言われる。
そのひとには「じぶんの母語はこれだ」と思える言語がない。拠り所がない。それはアイデンティティに直結する。
六カ国語を話せても、ひとつの母語をもてないひともいる。
そもそも、こんな話はすでにもっと著名なひとが語っていることなのだが。第一言語を大事にして、マスターすべきだよ、と。
□ □ □
では、母語が身についた、と言える基準はなにか。
それは、他人から言語について欠点を指摘されたとき、ほんとうに迷うか、ぱっと振り切れるか、だという。
実際に、カナダにいて、じぶんよりも漢字にくわしいカナダ人から「あなたはこんな漢字も読めないの? 日本人なのに!」と言われたことがあるらしい。けれども、「それは読めなくてもかまわない漢字で、一般に読めないひとも多い」と思える。そのことでアイデンティティは揺らがない。
でも、第二外国語である英語はちがう。友人はすでに20年か、30年は英語圏に暮らしているが、英語のまちがいを指摘されると「わたしが常識的なことを知らないのではないか?」と迷いが生じる、という。
そこが「母語」たりえるかどうかの、大きなちがいらしい。
□ □ □
カナダの友人は「日本の学校教育はすごくしっかりしている」と言っていたけれど、これから、いろいろな面でおおいに変化するかもしれず、また変化せざるをえない部分が増えるだろう。
ことば。
言語。
母語。
自分を支えるもの。じぶんのからだに、思考に、こころに、染みわたっているもの。