2020年1月15日水曜日

【本】『シャーウッド・アンダーソン論』白岩英樹著

『シャーウッド・アンダーソン論 他者関係を見つめつづけた作家』白岩英樹、作品社、2012


装幀は力強く凛々しい。この顔にも表れるアンダーソンの重厚さは、ヨーロッパ的な鈍重さ(ニーチェが言う)を持たず、アメリカの大地を思わせる。──19世紀にソローを培った大地だ。アンダーソンは貧しい環境で若くから働き、成人してからも定住と逃走をくりかえした。3度の離婚と4度の結婚をした。他者との関係に希望をかけながら辛い思いをして、詩と本のなかで声を発し続けた。

代表作は『ワインズバーグ・オハイオ』(連作短編集)とされ、日本では2018年に新訳が新潮文庫から出て話題を呼んだ。



彼は20世紀の始めのアメリカを「孤独」な人間たちの住む国とみなし、本書によれば、孤立した人間たちの「関係が始まる以前」から「いびつな関係性」そして人と人の間の「壁」を乗り越える理想へ向けて作品をものした。

本書で提示される「他者関係」の難しさと、その背景にある産業化された個人主義の社会は、いまもなお変わらず、むしろグローバルな規模で普遍化されつつある。

その意味で、この本は「作家アンダーソンについての批評」を通じて、そこに徹することでかえって、21世紀の世界的な(他者関係の)困難と危機をしっかりした骨組みで描く批評となっている。著者(白岩英樹さん)の生き様と思想も、じっくりと底に敷かれているようだ。

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以下、ぼくの雑感です。

アンダーソンは、19世紀のアメリカ精神を引き継ぎながら、工場と金融で壊された20世紀を生きた端境期の男だ。ソローとも響き合う大地を踏みしめているのに、すでにみなが「孤立」した社会に投げ込まれていた。アンダーソンが当惑し、闘ったアメリカ社会はいまの日本とも地続きだ。詩によって天まで叫んだ作家はいま、魂の故郷であるトウモロコシ畑に帰る。

おそらく、アメリカというのは輝かしい独立によってというより、もともとヨーロッパからの疎外として生まれた国なのだろう。──少なくとも、今日のアメリカを見るかぎりは。

だから、いまも根無し草たちが経済という砂上の楼閣を築こうとする文化なんだ。

そのなかで、まさに白岩先生の指摘される「他者関係」にわかりやすい形で取り組み、その言語化や実践(たとえば、臨床心理学)に熱心な国でもある。

もちろん、これは他人事ではなく、いまや世界のほとんどの国がそうだ。

急に、身近な例を挙げるようだけれども、ここ数年〜十数年の日本における、ゆるいコミュニティの形成も、哲学カフェも、ファシリテーションが活きるワークショップも、このアンダーソンの「他者関係」に向き合う試みだ。

そして、これらはこれらでよいとして、他方で、ぼくが大切だと思うのは、19世紀までのヨーロッパへのなんらかの回帰を含みもつ動きだ。いま、それにはほぼ誰も注目していない。

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最後にフォークナーについて。フォークナーはアンダーソンを愛読したらしく、その課題を引き受けたのだと思う。しかし、アンダーソンが直情的だったのに対して、フォークナーは繊細な知性を併せ持つことで、複雑な小説を練り上げた。

フォークナーの凄みは、叙事詩的な作品を作り上げるだけでなく(それだけでも大変な取り組みだが)、さらに神話へと飛翔していくことだ。

フォークナーの奥の深さをこれ以上は解釈できないが、その「神話」がなにを永遠化しているのか、これから『響きと怒り』を読もうと思う。

アンダーソンはもっとずっとその手前で、神話でも叙事詩でもなく、野生の叫びを上げた。野生の声を書きつけた。ここには始点がある。