2020年4月29日水曜日

【メモ】ふたつの世紀の先へ──ロマン主義と批評の彼方へ

クロード・モネ《サン・ラザール駅》
もっとも印象に残る絵画のひとつ
当時、工業化の最先端だった場所
ベンヤミンを思い出す(『パサージュ論』)

ふと、こんな問いが浮かぶ。

黄金の十九世紀──ヨーロッパ文化の円熟期、そのあとに来た二十世紀は批評の世紀だった。マーラーを最後に、ベートーヴェンに根ざす美学の伝統は断たれた。花開いたロマン主義はしょせん個人の夢幻にすぎない、とみなされた。

この二十世紀の判断は正しかったのか?──いや、そう問うのはまちがいだ。そうではなく、「十九世紀と二十世紀は統合されうるか」と問うべきだ。それがいまアクチュアルな問いであり、ぼくらの課題だとも言える。



なぜか。

実は、「二十世紀はどういう世紀だったのか」と反省的に、回顧的に、評論すべく問うことがすでに二十世紀の枠組みから、逃れられていないからだ。

二十世紀こそが、「十九世紀はどういう世紀だったのか」と問うていたのだから。さらに「現代とはなにか」、すなわち「今世紀はどんな世紀として来ているか」と問い続けた。

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その結果、十九世紀が向こう見ずにも思い切り表現した、そのまっすぐさ、天真爛漫と言えるほどの表現への思いを、二十世紀は失ったように思える。

だが、二十世紀の批評もまた、強い情熱を持っていた。豊穣な十九世紀を包み込んで、長い射程をもつ思考により未来を切り拓こうとした。

その残骸に、いま寄りすがっていてはいけない。おそらく、批評の時代は過ぎた。根拠は示せないが、もはや二十世紀ではいられない、と感じる。

『シュルレアリスム革命』誌第8号の表紙(1926年12月)

100年前に、ダダとシュルレアリスムが炸裂し、プルーストとジョイスが書いていた頃、十九世紀は(1900年というぴったりの数字を少し超えたところで)二十世紀へと移っていった。

いま、「二十世紀」も同様に2000年から少し遅れて「二十一世紀」に移ろうとしているように思える。この二十一世紀の課題は、「ロマン主義的な表現三昧」と「情熱と鋼鉄の批評」をともに受け入れ、伝統として尊重し、だいじに咀嚼しながら、その先へ、いわば「ロマン」と「批評」の弁証法をはじめ、それらが二重螺旋として昇ってゆく彼方を、指し示すこと、いや、実践することだ。

表現として。思想として。真実の追求として。

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P.S. いま、あまり時代の先端を行くのは危ない。芸術や感性、時代の把握にかかわることについて。そのまま進むと、崖から落ちる恐れがある。