江戸時代に描かれた西行 |
ゆくへなく月に心のすみすみて果はいかにかならんとすらん
月を愛した西行はその澄んだ光にわが心の果てを思う。
ともすれば月すむ空にあくがるる心の果てを知るよしもがな
あくがれし心を道のしるべにて雲にともなふ身とぞなりぬる
そして、雲のように漂泊する。
心をば深き紅葉の色に染めて別れて行くや散るになるらん
切なる別れを詠んだ歌だが、西行の和歌にはどれも静かに微笑んでいるような風情がある。
おおらかさ。人間の器の大きさ。それが風雅を強くする。また、仏教の無常を味わいながらも、日本古来の情緒を寄せてもののあはれを描くのだろう。
なにより西行には「遊」がある。それは旅を意味するとともに、あのおおらかな微笑みに帰ってゆく遊び心である。別れを歌い、無常を思い、つらい恋を言葉にしても、そこには遊びがある。
それこそ『山家集』に秘められた遊戯ではないだろうか?