物理的にも心理的にも離れているひとが、どこかで通じ合うこともある。たとえば、祖父母が生きていた頃、そういう風に感じなかっただろうか。
なんと表現してもよいのだが、ここでは「生命」が響き合う、または「生命」がつながっていると言おう。
半年の間、思い浮かべなかった顔が、ふっと浮かんだりしないだろうか。あの友人はどうしているのか、そしてまた意識から遠のく。
もともと、どんな人間関係もそういうつながりで成り立っているのかと思う。そして、人間関係がなければ「私」もない。
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アフリカには「ウブンツ」という概念がある。ウブンツとは「人間は他者がいるから、自分も人間である」といった意味だと、マンデラが語っていた。
アメリカ先住民には「ミタクエオヤシン」という言葉がある。「わたしにつながるすべてのもの」といった意味で、もとは親戚のような血のつながりを指し、それが全生命に及ぶ、といったニュアンスのようだ。
僕らは一方では、じぶんの存在を引き受ける独立した人格でありながら、他方では、生命の見えないネットワークでつながっている。それが人間なのかな、と考える。