2020年11月30日月曜日

ふらふらすること、写真展

 ふらふらすること。

wandering


俳句はふらふらしている。俳句は芸術なのだろうか?
マティスの絵が芸術であり、モネが芸術であるような意味で。



GRⅢというカメラだが、これで撮る写真は俳句ににている。


名前も知らない釣り人。


釣れた魚はすべて逃して帰る。


passing by


ただ通り過ぎる文章を書くのはかえってむつかしい


通り過ぎることのうちにも、愛がなければならない。その時、なにかを表現する以上は。


惑星ソラリスを思わせる。タルコフスキーの映画。



生は表現する。


ふらふらすることのなかで、出会うものは、驚きに満ちている。


それが特別なものだから? いや、ごくふつうの風景でしかない。


ふらふらすることはよい目では見られない。
だが、そこに生きることの実感が湧く。
生命と存在がわかる。自分の存在が満ちている。


そこにはなにもない。ただ、自然がある。自然にあるものがある。

あらゆるものが生命をもって交流している。

なにもかもが遊び戯れて、全肯定されている。


そのことに気がつく。

冬の午後二時の光は深く傾き、なにもかもを黄昏に染めていた。冬至が近い。