2020年11月6日金曜日

【メモ】アメリカ大統領選について思うこと

アメリカ大統領選について、思うことをまとめた。「本当はそうだよね」と思うひとに読んでもらうことは、けっして意味のないことではないと思う。

ひと言でいうと、どちらが大統領になっても同じだと私は思っている。

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アメリカと世界にとって、重要な問題は、消費文明(はっきり言えば「アメリカの白人文明」)がすでに人間の精神性という点からは、崩壊した後だということだ。

モノがあふれた20世紀を経て、情報であれ、SNSのつながりであれ、なにかを消費し尽くすことを求める文明は、なにも生んでいない。

かんたんに言えば、iPadを持ち、You Tubeを観ていれば、人類が築いてきた気高い精神性や人間らしい文化がほぼすべて滅び、蔑ろにされていても、見ないふりで誤魔化せるという、それが消費文明だ。

20世紀の半ば頃から、リースマンの『孤独な群衆』やフロムの『生きるということ』といった著作がきっちりと描いてきた社会が、出口もなくここまで来た。この先も行く。

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トランプとはなにかというと、大衆一人ひとりの「我欲」の集合体として動いている亡霊のようなものだ。本人は空っぽでなにもない。

中西部の白人、プアホワイト、自分の頭でものを考えることをやめた多くの人々が「おいしい思いをさせろ、世の中にはうんざりだ、きつい人生はもういやだ」と言うのを、拡声器付きでしゃべっているのがトランプにすぎない。

彼ら「支持層」がいなくならないかぎり、バイデンが勝っても意味はない。

政治は本来、公共のものだが、アメリカの大統領選はすでに私利私欲のものであり、単にむき出しのエゴイズムの代表者を選んでいる。

もっと言えば、日本でも「自分と自分の家族が幸せなら、ほかはどうなってもいい」と思っているひとは、「紙の投票」よりずっと強力にトランプを支持している。

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アメリカ社会における本当の問題も、共和党と民主党その他の「分断」ではない。もはや人間がみなばらばらになって、精神的な、本来の結びつきを持たないことだ。「いいね」ボタンでない絆を生み出せるのか、という問題だ。

孤立した、さみしく、悲しい人間が、自己さえもばらばらになりかけて、もはや一つの信念をもてず、個人として理想を描けない、そういう社会(それは社会なのか?)が問われている。

ちなみに、これも50年以上前にアメリカの思想家や社会学者が、ないしは19世紀のヨーロッパの思想家たちがすでに指摘していたことだ。

日本も、いま似たりよったりだろう。

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私は、「世界には希望がない」と言いたいのではない。世界は、たしかにニヒリズムとシニシズム、不正直と真実を直視しない不誠実さに満ちあふれている。

だが、そのことを認識し、真実に向き合った上で、本物の生を生きるべく、内心にひとり決意するひとがいれば、その分だけ、世界は確実によくなる。

そして、本当は他人を説得することではなく、共感の輪を広げることでさえなく、自分が、つまり私が、ただそれをすることが大切というだけだ。

それが倫理、エシカルだ。

だから、ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で書いたように、倫理は語りえないし、沈黙のうちになされるしかない。結局、そこへ戻って来てしまう。