2020年12月23日水曜日

人間の「条件」

誰しも人間を「条件」で判断してしまう場面がある。

「あのひとは、どういうひとか」

・ルックスがいまいち

・服装はおしゃれだ(今風である)

・就職先の安定感に欠ける

・学歴が高い

その逆、等々。

これがクセになると、自分のことも「条件」で見るようになる。気づかないうちに。

たしかに、他人からどう見られるか、という適切な自己評価ができることは有用な処世術だが、その見方に浸かりすぎると、知らず識らず自分を深く傷つける。

自他の「条件」を冷静に見られるひとが、成功した例も見てきた。彼らの価値観は「無難」の印象が強い。要領よく、そつなく、etc... 

***

無難より、冒険を選ぶひともいる。

失敗したら、また立ち上がる。そうできなければ、彷徨い歩く。


だが、「失敗した時、蔑みの眼で見られるだろう。いや、見られもせず、見ないふりをされるか」と思われるかもしれない。

しかし、誰かがじっと見守っている。いつもそうだ。どんなに「条件」が不揃いに思えても、見るひとは見ており、そういうひとと出会う。不思議だが。


僕は弱って放浪していた時、世界中からいっぺんに見捨てられるか、それとも、愛する人や社会からおおいに受け入れられるかの二択を考えた。どちらも起こらなかった。

大切なのは、気にかけてくれたひとに深く感謝をすることだった。いま、遅ればせながら記憶をたどり直している、何度も。



人間の「条件」をいくつ足し合わせても、全体としての人間はでき上がらない。

そして、理想に生きた人間は美しい。