2020年12月9日水曜日

瞑想と仕事、それから覚醒していること


 ここ半年ほど、瞑想の時間を取るようになった。直接のきっかけは、マインドフルネスに慣れた友人といっしょに実践したことだ。

30分ほどのマインドフルネスをすると(黙って目を瞑って座っているだけだが)途中からすーっと気分が落ち着いた。

それからは、5分でも15分でも、朝や晩に時間をとって座る。たいていは心が落ち着く。仕事のアイデアが浮かぶこともある。

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大変、仕事に熱心な知人に聞いた話だが、「私はヨガに凝った時期があり、その時に瞑想をしたが、気持ちがよくて長い時間を割いてしまう。それでは仕事に差し障りが出るので、控えめにするようにした」と。

そのひとはヨガに習熟していたのか存じないが、僕の場合は、浸るほど瞑想をすることはない。

これはけっして「仕事を捗らせるために瞑想を活用しよう」といった能率重視の発想で言うわけではないが、瞑想も節度が重要なのだとは思う。



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僕は一日に3時間くらいしか、実作業をしない日もある。なお、休みの日の話ではない。

実作業の3時間と睡眠の8時間を引くと、日中は13時間になる。これを「よい覚醒状態」で過ごそうと努めている。

料理もするし、運動のために外にも出る。休息も入れるし、家族とも話す。この時間をできるかぎり、精神的に落ち着いており、快活さがあり、視野狭窄にならず、周りに気を配れるような状態で過ごせるように。

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以前、心身の調子を崩しながら執筆していた時、過度な集中と、ぐったりした弛緩をくり返した経験がある。

コーヒーを飲みながら30分から2時間ほど、恐ろしく集中してPCやノートに向かうが、そのあとはひどく疲弊してベッドに倒れ込むというような、極端に言えばそんなやり方をした。

健全ではない。

もっとも健全がすべてだとは僕は思わないが、ともあれ今はそういう働き方はしない。

つまり、100%の覚醒状態(「過集中」と言われるような)や0%の覚醒状態(なにもできないほど、まいっている)になるのではなく、言ってみれば60-80%の覚醒状態を保つようなイメージで一日を過ごせないか、と。

エシカルSTORYにつなげると、そういう一日の過ごし方は「サステナブル」(持続可能)だといえる。

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瞑想は、そういう覚醒状態を作るのに向いていると感じるし、「頭」のスマートさだけでなく、「胸」(=情感)の豊かさと安定、「腹」(=胆力)の落ち着きともかかわる。

キリストが弟子たちに言った「目覚めていよ」という言葉を、ふっと思い出す。