ドラゴンボールの悟空について「責任を背負う大人」として描いてみます。ちょっとした偏愛エッセイです。
悟空は、たとえばラディッツと戦う時、ピッコロの魔貫光殺砲を助け、自分が犠牲になっても、「地球を守るためにラディッツを倒す」という目的を果たします。
その「義」の方が、自分の命よりも重く、またピッコロにいわば花を持たせることもいといません。きっと、息子の悟飯を守る気持ちもあったでしょう。
そして、天界に行ったら行ったで、明るく修行します。
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また、セルとの戦いでは父性を発揮します。
悟空は出せるかぎりの力で戦ったあと、自分ではセルを倒せないと悟り、あっさりと戦線を引きます。
その代わり、可能性を秘めた悟飯なら、セルに勝てると踏み、そのために自分の命を捨てます。そして、天国から見守り、悟飯が諦めそうになる時、最後に遠くから力を貸します。
どこにいても「オラはおまえを見守ってっからな!」という感じです。
悟空は、自分自身は勝てなくても、頼れるお父さんとして悟飯を見守り、仲間に気遣い、地球を渡さない、というところは貫くわけです。
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そして、僕が好きなのは、魔人ブウと戦う最後のシーンです。
悟空たちは、みんなの力を集めて元気玉を作ろうとします。そこで、地球のみんなにテレパシーのような声で呼びかけて、「元気を分けてくれ」といいます。
しかし、どこの誰かもわからない悟空の声に、応じてくれる地球人は少なかった。危機感が募ります。
そこで、いつもはおおらかな悟空が、
「バッキャロー、地球がどうなってもいいのか!」
と怒って叫びます。
この言葉が反感を買い、地球の人たちは「なんて傲慢なやつだ」ということで、ますます「元気」を分けたくなくなります。
でも、この言葉は、悟空が自分の背中に地球を背負っていること、会ったこともない一人ひとりの命と運命を、自分の責任として担っていることの表れでもあると思うのです。
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いわゆる「背負ってる感」が悟空にはあります。これは大人のあり方です。
最強の戦士を目指し、「オラ、もっと強えヤツと戦いてえぞ!」と軽快に言っている悟空は、同時に他人のことをいつも考えています。
フリーザ戦で超サイヤ人に目覚めたのも、クリリンへの友情のためでした。
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僕の友人でも「ドラゴンボールは人生哲学だよね!」というひとがいます。僕も、むかーしに読んだドラゴンボールを人生の節目ごとに思い出します。
「精神と時の部屋」のエピソードなんかはかなり好きなのですが、またどこかに書くかもしれません。
そういえば、悟空は座禅を組んで目を瞑り、修行することがあります。僕も瞑想でもしてみようかと思います。
(おわり)