2021年7月21日水曜日

ドラゴンボール、悟空の精神論


ドラゴンボールの悟空について「責任を背負う大人」として描いてみます。ちょっとした偏愛エッセイです。

悟空は、ひたすら強くなろうとします。「強さがインフレーションを起こすバトル漫画」という印象もあるかもしれません。

しかし、本来、強さには責任が伴うのではないでしょうか?

実際に、悟空はそういう責任を果たしているように見えます。

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悟空は、たとえばラディッツと戦う時、ピッコロの魔貫光殺砲を助け、自分が犠牲になっても、「地球を守るためにラディッツを倒す」という目的を果たします。

その「義」の方が、自分の命よりも重く、またピッコロにいわば花を持たせることもいといません。きっと、息子の悟飯を守る気持ちもあったでしょう。

そして、天界に行ったら行ったで、明るく修行します(界王様と)。

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また、セルとの戦いでは父性を発揮します。

悟空は出せるかぎりの力で戦ったあと、自分ではセルを倒せないと悟り、あっさりと戦線を引きます。

その代わり、可能性を秘めた悟飯なら、セルに勝てると踏み、そのために自分の命を捨てます。そして、天国から見守り、悟飯が諦めそうになる時、最後のかめはめ波(必殺技)に天から力を貸します。

どこにいても、「オラはおまえを見守ってっからな!」という感じです。

悟空は、自分自身は勝てなくても、頼れるお父さんとして悟飯を見守り、仲間に気遣い、地球を渡さない、というところは貫くわけです。

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そして、僕の好きなのは、魔人ブウと戦う最後のシーンです。

悟空たちは、元気玉を使って、みんなの力を集めて、ブウを倒すしかない、と考えます。そこで、地球のみんなにテレパシーのような声で呼びかけて、「元気を分けてくれ」といいます。

が、どこの誰かもわからない悟空の声に、応じてくれる地球人は少なかった。

その力では、ブウは倒せず、そうすれば地球も宇宙もめちゃくちゃにされてしまう、という危機感が募ります。

そこで、いつもはおおらかな悟空が、

「バッキャロー、地球がどうなってもいいのか!」

と怒って叫んでしまいます。地球人に文句を言うわけです。

これが反感を買い、地球の人たちは「なんて傲慢なやつだ」ということで、ますます「元気」を分けたくなくなります。

でも、この言葉は、悟空が自分の背中に地球を背負っていること、地球の名もなきひとたち、会ったこともないひとたち、一人ひとりの命と運命を、最後は悟空ひとりが担っていることの自覚の表れでもあると思うのです。

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いわゆる「背負ってる感」が悟空にはあります。

これは、庶民や「みんな」を意識して行動する点で、大人のあり方に見えます。

最強の戦士を目指し、「オラ、もっと強えヤツと戦いてえぞ!」「わくわくすっぞ!」と軽快に言っている悟空は、単に自分の願いを叶えたいのではなく、自分の立場から他人になにができるかを考えてもいます。

フリーザ戦で超サイヤ人に目覚めたのも、クリリンへの友情のためでした。

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僕の友人でも「ドラゴンボールは人生哲学だよね!」というひとがいます。僕も、むかーしに読んだドラゴンボールを人生の節目ごとに思い出します。

「精神と時の部屋」のエピソードなんかはかなり好きなのですが、またどこかに書くかもしれません。

そういえば、悟空は座禅を組んで目を瞑り、修行することがあります。僕も瞑想でもしてみようかと思います。


(おわり)