なぜ空は青いのか。素朴な疑問に対して、色の波長の論理で答えられる。青は、短い波長の色であり、太陽光線のうちで、もっともたくさん大気中で反射してから、地上へ届くから。
「しかし、なぜその波長の色が青なのか。」この問いに、色の波長の論理は、そしておそらく科学の論理は、答えられない。ある波長の長さの光線は、たまたま青に見える。
ところで、こんな風に物語でも答えられる。「神様は、みんな、晴れた空の下で”青う”(会おう)よ!と考えて、空の色を青にしたのです。」あるいは、これを物語の論理と呼んでもいい。
たしかに、科学の論理を求める人は、この「物語(の論理)」に納得しないだろう。それは、駄洒落にすぎない、子どもだましにすぎない、と難ずるだろう。その人は、物語を受け入れなかったのだ。
しかし、もし子どもがこの物語を聞いて、笑って喜び、「そうか、それで空は青いんだ!」と言えば、その子どもは、空が青いという現実を受け入れる。もう謎は解けた、と言える。
ひとは、物語を受け入れるとき、現実を受け入れる。それが謎めいた現実であれ、困難を抱えた現実であれ。そのとき、物語とともに、僕らはまた歩き出せるからだ。
さて、ひとが謎に直面したとき、取れる態度は三つあるだろう。一つは、論理によって謎を解くこと。二つは、謎を解きほぐす物語をすること。三つは、不思議に向き合ったまま、哲学すること。
—————未刊の本の草稿より。