2013年1月23日水曜日

【書評】開沼博『フクシマの正義』を読んで


はじめに ーー開沼博さんのご紹介

 福島でいま、なにが起こっているのか。関心をもつひとに、信頼できる研究者が語る。開沼博(1984〜)さんは、若手の社会学者で、福島県いわき市に生まれ、震災よりも以前から、すでに地元福島の原発問題について研究をしてきた。それが、3.11で脚光を浴びる形となり、修士論文をもとに『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011)を出版した。そして、震災後もフィールドワークをしながら、問題を追い続けている。

 ここでは、彼の第二の著作『フクシマの正義「日本の変わらなさとの闘い」』(幻冬舎、2012)について、書評を記したいと思う。

開沼さんのスタンス

 はじめに、開沼さんのスタンスがユニークだ。彼は、「田舎、地方としての福島」に着目して、原発・震災の問題に関しても、福島の歴史的な変遷、地方独特の背景を重視する。その点、いま、世の中で取りざたされやすいテーマ、「放射能は(首都圏などでも)どのくらい危険か」「原発利権がどのように政官財報を癒着させているか」「東電の責任追及」といったテーマは、中心に据えられていない。まさに、二つの著書がタイトルに含む「フクシマ」という言葉が、彼の問題意識を貫いている。この本は、「原発論」よりも「地方論」に軸足を置いているのではないか、と思わされる箇所が多い。あくまで「福島」を中心に視座や論点を提供していく、それが開沼さんのスタンスの独自性である。

「フクシマ」を語る知識人に抗して

 第一部では、現在の日本の「知識人」に対する不満が述べられる。彼らは、現地に行かないで、「なぜ(福島から)避難しないひとたちがいるのか」とか「東電が悪い。なぜ(福島は)受け入れたのか」といった話をするが、それは、他人から見た福島にすぎない。実情をおさえていない。それでは、(カタカナとしての)「フクシマ」という世界規模の問題としてしか、震災も原発も捉えられておらず、現地の声や生活に密着した「福島」が抜け落ちてしまう。そのなかで語られる「正義」は、肝心の福島のひとびとに届かない。それゆえ、福島のフィールドワークから、現場尊重の意志から、発する働きかけが重要になってくる。研究も、「知識人」としての発言も、そうあってしかるべきだろうと、開沼さんは考える。

メディアとのギャップ、そして、原発を受け入れた町の歴史

 第二部では、具体的に福島の現状が述べられる。著者自身が福島に何度も足を運んで見聞きした情報、そして、1950年代まで遡って戦後史として福島という地方を眺めるなかで、気づいたことを記していく。第二部も、論文調ではなく、いろいろな話題を盛り込んで、小見出しごとに話を切り替えていく文章になっており、読みやすい。

たとえば、こんな話がされる。「なぜ現地に行くと違和感を覚えるのか」という小見出し。

それは「メディアで描かれるほど、現地の人々は怒ったり悲しんだり怯えたりしているわけではない」というギャップである。
 例えば、メディアを通して福島を見ると、「線量が高い」「避難したほうがよい」といった専門家による分析、政府や東京電力に対して声を荒らげる人々の姿が繰り返し報じられた。しかし、線量が高いと言われる福島市の駅前に行ってみても、地元の人でマスクや放射線を避けるような格好をした人はほとんど見当たらない。スーパーでも地元産の作物が普段どおりに置いてある。(p.160)

ここでは、メディアとフィールドワークの落差が指摘される。では、メディアが「嘘」を報じていて、福島の人々は放射能など恐れていないのだろうか?そうかんたんではない。
 「いわき市に住むある人」は、「今、ここには見えない対立があるんです。」と語る。福島のなかにも、「地元の作物を食べて、安全を信じ、アピールしよう。」というひとたちと、「正常ではない数値も出ているし、慎重にしよう。」というひとたちと、二つの立場がある。けれども、「復興、頑張ろう。」という声の前には、多くのひとは慎重論を唱えられなくなってしまう。マスクをつけないのも同じ原理で、「自分だけマスクをつけていると浮いてしまう。」ことから、ボランティアも含め、マスクをしなくなるのだとか。マスクは、「(マスクをしない)あなたがたは、危険を冒しています。ここ(福島)は危険な場所です。」というメッセージを発してしまうから、ひとびとの間に溝を作ってしまう、それが怖いがために、つけられないのだという。(p.161)

このように、福島のなかに「分断」や「溝」ができてしまう危険性が、常にある。

 開沼さんは、震災前からの「福島・原発」研究者であり、その歴史についても本書で触れている。60年代の原発予定地について、こんな風に語られる。

「町史」をはじめ地元の資料を繙く(ひもとく)と、当時の風景が紙芝居のように見えてくる。テレビをつければ『ひょっこりひょうたん島』が流れ、ラジオや新聞では東京オリンピックに向かう東京の輝かしい高度成長の様子が報じられた。しかし、メディアを通した「高度成長の物語」を見終えて、ふと自分の家の外を見ると、いまだアスファルト舗装されていない道路に茅葺き屋根の家。電気や水道、電話などのインフラが通り始めたばかりで、少し街の中心から離れると、まだそれすらもない。(p.157)

田畑に使える土地も足りないし、男たちは出稼ぎに行かねばならない、貧しい農村。そこに「夢のエネルギー原子力」が差し出された。原子力に対して、いまのような「大事故」「放射能」といった負のイメージが広く定着するのは70年代に入ってから、と開沼さんは言う。50〜60年代前半の田舎町にとって、原発予定地の提案は、いまの言葉で言えば、「この過疎・高齢化の地が、IT特区になってシリコンバレーみたいになるかもしれない」(p.157)という以上に夢のあることだったのではないか、と開沼さんは想像する。

 ほかにも、この第二部では、津波の遺体をめぐる痛ましい話など、現地で取材に当たったひとならではのエピソードや考察が語られている。

開沼さんと愉快な対談者たち

 第三部は、開沼さんと誰かもうひとりによる対談集になっている。ここは、著者の本音が聞けたり、方法論について言及されていたり、生の声が面白い。そして、なんといっても、対談する相手がどの方もユニークだ。まず、開沼さんと同じ世代の若手がそろっている。批評家・編集者である荻上チキさん、『困ってるひと』で一躍有名になった大野更紗さん、若者論で評判を取った社会学者の古市憲寿さん。また、もっと上の世代で言えば、話題を呼ぶジャーナリスト・ノンフィクション作家の佐野眞一さん、小説家の高橋源一郎さん、政治家でニセコ町出身の逢坂誠二さんらがいる。

では、第三部をかいつまんで見ていこう。開沼さんは語る。

ライターとしての視点から言えば、ジャーナリズム、ノンフィクションの現場に若い書き手が出てこない状況が長く続いていて、……(中略)……自分の足を使わないで、傷のつかないポジションを獲得して上から物を言うような知識人が跋扈(ばっこ)している状況が、問題をかえってややこしくしている部分がある(p.253)

ここには、若い世代の「ジャーナリズム、ノンフィクション」を背負おうとする開沼さんの気概が表れているとともに、現状への不満も聞かれる。

3.11直後から様々な形で知識人たちの言説のあり方が問題になってきましたが、地元の人と知識人たちの言説のギャップにこそ注目しなければならない。既存の議論は「地方を中央の実験場にする構造」の再生産に向かってしまっている。そのことはすごく感じますね。(p.355)

この点は、最初に指摘した、開沼さんが「地方論」を意識していることにもつながる。

一方で、"田舎論"をやりたいとも思っていました。東京育ち、都会育ちの研究者にはできなくて、地方出身の自分にこそ見えるものがあるだろうと。(p.250)
先ほど、七〇年代、八〇年代の若者論は中央の論理で動いていたというお話がありました。地方論に関しても、様々な領域の先行研究を見ると、同じように感じます。(p.362)

こうして、「中央(とりわけ、東京。)と地方」が大きく対比されて、中央の論壇からは見えない地方を描きたい、という開沼さんの意気込みが窺える。

おわりにーー若手の社会学者、批評家への期待

 このレビューでは、書評でよく使われる「著者」という言葉を控えめに用いた。積極的に「開沼さん」と名前で呼んだ。それは、彼が「これから」のひとであり、その信頼ある文章ばかりでなく、その名前ももっと親しまれてほしい、と願うからだ。そして、「これから」社会を論じていく気鋭のもの書きは、彼一人ではない。
 たとえば、webのメディア「SYNODOS(シノドス)」で盛んに議論する、若手の社会学者、批評家たちが何人もいる。第三部の対談に登場したような方々がそうだ。学問も、社会評論も、ひとりでは心細いところ、切り開けないところもあるだろうから、いま若い世代に何人も期待できる書き手がいることは、心強くもある。開沼さんには、周りの「仲間たち」とともに、これからも新しい風を吹かせてほしい、と思う。