2013年3月10日日曜日

メープルシロップ包囲網


——「ある日、メープルシロップの瓶がカナダからやってきた。」そんな出だしで素敵な物語を始められたら、と思うのだけど。

実際に、ある日、カナダの親切な知人から、瓶詰めのメープルシロップが届いた。そこいらの国産メープルシロップ(?)とはわけがちがう、お砂糖を溶かしてごまかした製品じゃない、カナダ国旗にも描かれる、あの楓から樹液として流れ落ちた、本物のメープルシロップなんだ、と、英字の表記に見入って喜んだ。後日、スーパーで同じ商品をみつけることになり、きちんと輸入もされていたと知るわけだが。まあ、いいや。

それで、メープルシロップと過ごす日々が始まった。朝、食パンを焼く。メープルシロップをちょっとばかり、かける。昼頃、気が向くとホットケーキを焼く。そこにメープルシロップをかける。樹液というものが、こんなに風味豊かで、甘い味がするのは、どういうわけだろう、と思った。ぼくは、数日間、メープルシロップのとりこになった。

ところが、母に話すと、「メープルシロップが苦手」と言う。若いとき、あの香りが大好きで、なんでもメープルにしていたら、じきに飽きてしまった、と。そういうものだろうか。毎朝、ジャムやはちみつを使う家庭だって、昔からあるだろうに、そういう感覚で長続きしたらいい、と思った。

思ったのだが、そう言われてみると、妙に気になる。メープルシロップがつんと香るようになった。あの独特の風味を、鼻や舌が覚えてしまった。まさか、と思っていたが、小さなお菓子に混ぜ込まれているのにさえ、すぐに気がつくようになる。カフェでアイスクリームを頼む。すると、そこにメープルシロップがかかっている。安っぽいスーパーのお菓子も、ファストフード店のプチケーキも、世の中、いたるところにメープルシロップが使われている!

これは、メープルシロップ包囲網だ、と気づいた。

同じような経験は、ヘーゼルナッツにもある。ぼくは、「ヘーゼルナッツ味」などと言われても、どこがどう「ふつう味」とちがうのか、わかりはしなかった。アーモンドと、ピーナッツのちがいもわからない。けれども、あるとき「これがヘーゼルナッツだ。」と、香りが判別できるようになってからというもの、どこにあっても、ヘーゼルナッツだとわかる。珈琲系ドリンクのなかでも、パイ生地のうちでも、チョコレートの風味でも。

こうして、ヘーゼルナッツ包囲網も張り巡らされた。

僕は、メープルシロップの兵士とヘーゼルナッツの兵士で、チェスができるんじゃないか。とまで考える。

……とはいえ、しょっちゅうお菓子を食べるのでなければ、そう気にする機会もない。いまでも、メープルシロップとヘーゼルナッツは、香れば、はっとするものの、好きな風味ではある。