2013年3月31日日曜日

エッセイとはなにか


昔、天声人語で、随筆についてこんな文章を引用していた。「欧米におけるエッセイと、日本の随筆は少し異なるようだ。日本の随筆は、話題の中心から離れたところで始まり、なかなか中心に触れずに、その回りを遠巻きに回るように進む」。うろ覚えで、細部はしっかりしない。

僕はこの考え方の骨格を、とても興味深い、と思った。それで、頭のなかに残ったイメージは、「核」のようなものが真ん中にあって、その回りを螺旋のようにぐるぐる巻きの線が回っているというもの。

日本の随筆は、おそらく、なかなか核心に触れないのだろう。通り過ぎてゆく、行きつ戻りつ、ぱっと話題が飛ぶ。飛躍したように思えるが、奇妙な近道を通って、戻ってくる。それも、気づくと、ぐっと近づいている、言いたいことはそこなのか、と思う。ついに結論部に至るぞ、と思いきや、ふっとはぐらかされて終わる。それで、終わり。空白のような余韻。

僕は、そんな「随筆」をとても好ましいものに思う。奥ゆかしい、という言葉がぴったりくる。それでいて、そのゆき方は、しばしば、ものごとを捉えるためにもっともふさわしい方法ではないか、とも考える。