2013年3月31日日曜日

【書評】『狼と香辛料』〜中世ヨーロッパ商人の時代小説

<概要>

『狼と香辛料』は、ファンタジー世界を舞台にしたライトノベルで、2006年の第1巻は著者のデビュー作でもある。全17巻で完結し、シリーズ累計400万部を売り上げている。

今回は、第1巻から第5巻までを面白く読んだ。テレビアニメ化もされているようだが、そちらはチェックしていない。作品は、25才の旅する商人(男性)が、狼の化身である少女と出会い、道連れとなり、商売をしながら、彼女の故郷を探すというもの。世界観は、独自のファンタジーで、著者によるフィクションだが、中世ヨーロッパを(参考文献から察するに、とりわけドイツを)かなり忠実に模している。

一巻ごとの展開は、ふたりの前に「儲け話」または「故郷を探す手がかり」が現れるが、それを追ううちに、権力の陰謀や商人の策略に巻き込まれ、そこから脱出して利益を勝ちとる、という流れ。そこでは、商人の世界がこまやかに描き出され、面白い仕掛けや裏をかく策謀が解き明かされ、主人公たちは、みごとに自分たちの勝利と言えるような結末に導いていく。一種、ミステリーのような読後感がある。

<商人世界のリアリティ>

本作の面白みのひとつは、その商人世界のリアリティにある。著者の支倉凍砂(はせくらいすな)さんは、大学では物理学を学んだというが、独学で丁寧に中世ヨーロッパの世界を勉強なさったようだ。

」というまとめサイトがあり、参考文献が列挙されているが、著作のきっかけとなったと言う『金と香辛料』(ジャン・ファヴィエ, 春秋社)をはじめ、中世ヨーロッパに関して、生活誌、傭兵、騎士、十字軍、迷信、都市の研究、魔女狩り……といったテーマが咲き乱れている。

これだけを見ても、文献を渉猟して、中世史研究の成果をきちんと交えた作品作りをしていることがわかる。実際に読み進めていても、中世を思わせる商習慣や町の様子、権力の機構、生活誌の雑学といったものが自然と織り込まれている。それらの知識は、けっしてくどくはない形で、世界観を緻密に描くために一役、買っている。

だから、この作品は、ファンタジー・ライトノベルにありがちな、剣と魔法とドラゴンが出てきて、詳細はわからないヨーロッパ風の世界観のなかで、勇者が戦いを繰り広げるような類とは、ずいぶん趣が異なる。緻密に描かれた商人世界のリアリティ。それが、『狼と香辛料』を、中世ヨーロッパを舞台にした時代小説のようにしている。

<可愛い狼少女「ホロ」>

けれども、そうした「真面目」な側面の一方に、ライトノベルのお約束として、異世界の住人である可愛い少女(狼の化身である女主人公「ホロ」)が出てくる。彼女は、数百年のときを生きた狼の霊だか、神だか、そういう存在で、主人公の男と、ラブコメを繰り広げる。たいていは、戯れ言を返し合うようなやりとりで、結局、主人公がやりこめられて、「ホロ」の勝利に終わる。その台詞回しのかっこよさ、気取り、まぬけさ、可愛い少女が主導権を握る恋愛劇、といったところに、作品のもうひとつの面白みがある。難しく書いてしまったが、「ホロに『萌え』ます。」と言えば、わかりやすいだろうか。

ただ、ふたりの心理描写が少しくどく、会話が音楽性に欠ける(あまりリズム感がなく、説明調になりがちな)印象を受けるのが、やや難かな、と思った。けれども、小さな嫉妬や、別れの予感、信頼や愛しさをエンターテイメント仕立てで交えることによって、ライトノベル特有の「軽快な読み心地」を、さきのリアリティと両立させているのだから、これはこれで楽しめばよいか、とも思う。

最後に、ライトノベルの書評にしては、かなり真面目な文章になってしまったのを申し訳なく思う気もするのだが、本屋に並ぶ小説も「ライト」なものが増えるなか、知性とアイデアと筆力を感じさせる力作として、高く評価したいのだから、という理由でご容赦願いたい。ちなみに、年間3冊のペースで執筆されていたようで、ライトノベル業界ではふつうなのかもしれないが、質の高さを見ても、ペースの速さには驚かされた。

気晴らしと、中世ヨーロッパ世界に浸る喜びを兼ねて、続きを読みたいと思う。