2013年9月5日木曜日

「ヴィジョン」と「行動せよ」


ヴィジョンをもつ、という言い方がある。ビジネス書や自己啓発にも使われる言葉だが、今回は、ネイティブ・アメリカンゆかりの「ヴィジョン」から話を始めよう。

ネイティブ・アメリカンには「ヴィジョン・クエスト」なるものがある。「ヴィジョンの探求」といった訳になるけれど、たとえば、ある部族では少年が村から何キロも離れた丘のうえで穴に入り、毛布にくるまって三日三晩過ごす、という儀式がおこなわれる。

その間に少年は夢をみる。そのなかで、「ヴィジョン」をつかむ。それは天啓のような映像だ。それを年長者が読み解いて、その子の将来を決める。この一連の流れがヴィジョン・クエストである。

かたちはちがえど、わたしたちにとっても、これからなそうとすることについてヴィジョンをもつことは、大切だろうと思う。

けれども、世間で言う「ヴィジョン」は「コンセプト」「計画」あたりとごちゃまぜにされて用いられる。つまり、ヴィジョンから「コンセプト」(大きな方針)を作り、「下調べ」や「予測」を十分にしたのち、「計画」を立てて「遂行」するといった作業のサイクルがある。僕の考えでは、「ヴィジョン」は「計画」とはなんの関係もない。

なぜなら、ヴィジョンは、使命のような確信を与えるものだから。確信をもって行動するひとは、ブレず、強く、描いたものに向かって一直線に進む。たとえ、次になにが起こるか、誰にもわからないとしても。

次に、「行動」について。ヴィジョンというのは、ある意味で静的で、ネイティブ・アメリカンでなくても、瞑想や夢の暗示のようなことがらを連想させる。そのひとは、まだ行動しない。ただヴィジョンを待っている。けれども、ひとたびヴィジョンが得られたならば、すぐにでも行動を起こせる。

そういうわけで、ことに当たっては、じっくりヴィジョンを探求することと、いつでも「行動せよ」の言葉とともに始められることが、少なくとも僕にとっては大切だ。