2014年8月15日金曜日

【本と珈琲豆】『スティル・ライフ』池澤夏樹

*「本と珈琲豆」は、気楽な書評コーナーです。*

 多彩な活躍を続ける作家・翻訳家の池澤夏樹さん。2014年の夏からは北海道立文学館の館長に就任されて、「地域性」と「普遍性」をともにもつ文学の重要さを語った。そんな池澤さんの芥川賞受賞作(1988年刊)が『スティル・ライフ』だ。

軽い序のようなものが置かれたあと、物語はこんな風に始まる。
 星の話だ。
 ぼくたちはバーの高い椅子に坐っていた。それぞれの前にはウィスキーと水のグラスがあった。
主人公は、「宇宙から降ってくる微粒子」が出す「チェレンコフ光」の話をする佐々井という男と知り合う。アルバイト先でのこと。
「そう、なるべく遠くのことを考える。星が一番遠い」
と佐々井は言う。ふたりは飲み友達になるが、あるときワケありの仕事を佐々井から持ちかけられ……。

 しかし、物語はミステリー調になることなく、スリルとエキサイトは静かな膜をかぶせられたかのようにドライな筆致で抑制される。しばらく現実的な、事務的なことがらが進み、結末を迎える。主人公は佐々井に、「きみには人格が二つある」と言う。
一方は、昨日と同じ今日にも満足する、逃亡生活にふさわしい等身大のきみ。周囲の状況をリアル・タイムで正確に読み取っている動物、……(中略)……。もう一つは、ニュートリノの飛来を感知できる宇宙的なきみ。山や高原や惑星や星雲と同じディメンションの、希薄な存在。拡大されたきみ。
それは、近接作用と遠隔作用をもつ、ということ。しかし、一万年前ならともかく、いまの時代の人間たちは「中距離」しかもたなくなってしまった。そんな風にふたりは語らう。物語は終わる。
 
 池澤さんは『言葉の流星群』という本で、宮澤賢治についてまるまる一冊、語っている。賢治の「遠さ」が大好きなようだ。ところで、佐々井はスナフキンのような男だ。ものをほとんど所有せず、放浪するように簡素な生活をしている。スナフキンと宮澤賢治。遠さの感覚。理系出身のバックグラウンドを活かしながら、科学を背景にひとと世界の関係における「遠距離」を描き出す物語。それが、『スティル・ライフ』——現代版の「静かな生活」だった。


【書誌情報】池澤夏樹、『スティル・ライフ』、中央公論新社(文庫版)、1991