2014年10月28日火曜日

【本と珈琲豆】池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』の鳥


「朝から話をはじめよう。すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。」という文章から、この本は始まる。続いて、朝に騒ぐ鳥たちの描写。そこは南の島だ。そこで、「鳥たちは遠い先祖の霊。」と明示的に書かれる。そういう遠い霊的なものと、この現世を結ぶ時空間として、薄明が設定されている。




こうした朝の描写から、小説は本筋に入り、南の島国(フィリピンに近い、西太平洋の架空の島国)で大統領を務めるマシアス・ギリが登場する。淡々とした筆致のなかに、不可思議なバスの消失事件や、200年前に死んだ男の亡霊と会話をする場面が差し挟まれ、現実と温度差のないファンタジーが織り交ぜられる。

ここからは、僕がユニークだと思った文章を抜き書きして、あらすじの紹介に代えたい。

「二つの文化の間の距離というのは、個人の人生で学べる限界をはるかに超えて大きいんだ」
「そう。二つの文化システムを一身に備えるのは不可能に近い」

亡霊とマシアス・ギリの会話より。沖縄、フランス、ギリシャ、北海道で暮らした池澤夏樹さんの感慨なのか。

「ここ何百年かの歴史は、来る者と持ち込まれる物の話ばかりだ。それがこの島の運命を決めてきた。われわれは出るべきだった。何かを持ち出すべきであって、持ち込む物は自分たちで決めるべきなんだ。」

マシアスの台詞。人口7万人の南の島は、大国(日本、アメリカなど)とのパイプなしには運営できない。政治的にも、経済的にも。ここに、先進諸国が世界支配する現代に対する、池澤さんの冷静な批評意識を読めるだろう。

「しかし、政治というのはすべて象徴的なものなのだよ。現在は具体的だから官僚でも維持できる。だが、未来の像を用意するという政治本来の任務にはどうしても象徴や神話の活用が必要になる。」

マシアスの台詞。池澤さんによる、政治と文学をつなぐ回路の提示だろうか。

「…(略)…今は自由の身だった。そう、自由というもののこのなんとも頼りない感じ。」

登場人物についての地の文より。『スティル・ライフ』も、こういう「自由」な生活をテーマにしていた。旅と生活がいっしょになっている池澤さんの実生活の感想のようだ。

さて、冒頭の「鳥」について少し考察しよう。この長編小説にファンタジーの要素が散りばめられていることは先に書いたが、そういった「現実」と「非現実」が接する場面で、この南国の「鳥」たちが登場「しない」ことに気づいた。

そう、鳥たちの姿や鳴き声の描写が冒頭のほか、目立って現れない。小説の技巧からすれば、「鳥」は「先祖の霊」と明示した以上、「この世」と「あの世」、「現実」と「非現実」の境にある象徴として、ことあるごとに鳥を登場させる方が、かんたんである。つまり、小説を意味深く、暗示的な作品に仕立てるために、かんたんである。

だが、池澤夏樹はそうはしなかった。技巧的な文学の味つけを好まなかった。その代わりに、おそらくは一気に書き下ろし、印象的な場面を次へ次へとつなぎ、全体は淡々と進む映画のフィルムのような長編を紡いだ。この小説は、細工や技巧ではなく、滔々と「物語る」ことをもっとも大切にしている。

面白いことに、小説の最後では、作品に自己言及するかのように登場人物に言わせている。

「そうだね。物語というものがすっかり語られて一つの形を取るためには、たぶん相当量の幸福が必要なんだよ。語り手は絶対に必要なんだから。」

旅に暮らし、旺盛な活動力を失わない、池澤夏樹さん。自身の来し方を「幸福」だと振り返り、その恵まれた環境のなかで読む人に「幸福」を、「読む幸福」を与えうる物語を書き綴ることに対する満足がみえる。