2014年12月22日月曜日

流動性について


「行雲流水」という四字熟語を引くと、「空行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、自然にまかせて行動すること。」とある。(大辞林)もっと概念的な言葉では、「流動性」がこれを表すと思う。流動性とは、「一定しないで流れ動く性質」。

ぼくは流動的なものに惹かれ、流動性を原理として生きているようなところがある。

抽象的な説明だが、難局にぶつかったとき、そこで安定した状態を築いたり、手堅い手法をとったり、強固な立場を頼ったりしようとあまり思わない。それよりも、「流動性」を持ちこむことにより、状況を可変的にし、変動させ、ゆるゆると動き出せるものにすることで、見えなかった出口を作り出そうとする。

他方、すでに安定が築かれようとしているとき、地道に積み重ねられたものがあるとき、それらが「固定」や「束縛」として働く手前で、状況をゆるやかに移りゆかせようともする。言ってしまえば、流動性には、安定を手放して、不安定さを持ちこんでしまう側面もある。

これらが、おおよそ流動性を原理として生きる、ということだ。

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ぼくは自分の内側に、強い流動性への衝動、それを希求する強い力のうごめきを感じる。それは自分の意志ではなく、思い通りにもならない。

ちょうど、左側の心臓とはべつに、右側にもうひとつの心臓があり、それが「流動性」を司っているみたいだ。それは人間を超えた威力であって、精霊ともデモーニッシュ(悪魔的)なもの、と呼べる。たしかに一個の人間を超えており、抗うことはできても、押さえこむことはできない。

そういう人間にできることはなにか。おおげさなようだが、国家と社会がひとりひとりを固定することでーーその社会的な立場、役割、手順、作法 etc...ーー成り立っているシステムだとしたら、それを周辺から流動化させてゆくエンジンになれたら、と願う。