2015年6月21日日曜日

流動性のゆくえ


流動性というものに惹かれ続けている。他方、この世界は「固定化」と「システム化」を原理としている。


この社会のうちでーーたとえば、金融工学を専門に勉強したら、大学の研究者や証券会社に就職するのが「固定化」だ。獲得した所属を維持するのも「固定化」だし、その点、終身雇用は最大の「固定化」だろう。

趣味の領域でも同じことが言える。ジャズを聴き出したら、ジャズしか聴かない。なかでもバップとマイルスがたとえば好きなら、そればかり聴き込む。これも「固定化」だ。

もうひとつ、「システム化」というのは、環境を組織すること。たとえば、仕事で、インプット(情報の入力、収入、商品の仕入れなど)のルートを数カ所決める。アウトプットも同様にする。そのシステムを回転させ続けること(ルーチンワーク)で仕事はうまくいく。

結局、この「資本主義」で回る「西洋的な社会」では、私生活も仕事も、環境を「システム化」し、システムを「固定化」すると、安定が得られる。この原理に疑問をもつひとは驚くほど少ないが、そうなのだ。

というのも、流動性は、「雇用の流動性」であれ「不測の事態」であれ、ろくなことがないと、ひとは経験的に思って/知っているから。同じく、システムを作り、固定化することが成功につながるのも経験的に知られている。たとえ「イノベーション」が大事だと言っても、ブレイクスルーのあとには、迅速なシステム化と固定化で「独占」を図る。

そのなかで、常に流動性の方へ寄り、「システム」のないところで水のように揺らぎ、「固定化」を慎み、ひとにも強要しないとしたらーーそれはどこか誠実で、美しい生き方であるように思えて仕方がない。