2015年8月30日日曜日

【古楽ミステリ】〜ピュタゴラス楽団の陰謀〜



まえがき:古楽ラノベを連載していたところ、「音律世界陰謀小説」はないのか、とのリクエストをみかけたので書きました。冗談で書かれた話です。


***

とある朝、すがすがしい避暑地の空気を吸って、わたしは音律探偵の五度閉紀(ごどとじのり)と事件現場の別荘へ向かっていた。高原の緑はさわやか、すぐそこの窓からは見目麗しいご婦人がオウムと会話しているのが見える。「おーはーよー」「おーはーよー」。

「それで、MTKの犯行だと警察は言うんだね?」
五度閉紀は、1セント玉を手のなかで転がしながら尋ねる。
「ああ。死体のそばには、中全音律に調弦されたハープが置かれていた。殺された作曲家は、平均律を使っていたから、MTKに睨まれていた」
「なるほど。それで、世界中の楽器の調律をミーントーン(中全音律)にしなければ気の済まない、ミーントーン・クラン(MTK)の連中に襲われた、という推理か」
わたしはうなずいた。

一本道の行き止まりに、犯行現場の別荘はあった。長三(ながみつ)刑事が声をかけてくれる。「こちらですよ」

作曲家の部屋は、そう荒らされていないが、グランドピアノの鍵盤に血がついており、また、弦のあいだに消しゴムがほうりこまれるなど、楽器だけが異様な様子であった。

「みてください。閉紀さん」と刑事がハープを指さす。「ふむ」と、手袋をはめて五度閉紀はハープを弾いた。「安物のレプリカのようだが…たしかに、ミーントーンだ」「そうでしょう」。

刑事は、説明した。
「昨日の夜、突然、この作曲家の別荘からハープの鳴る音が響き渡ったのです。それは、周辺の別荘にいたひとたちが一様に聴いています。その後、連絡が取れないことを不審に思った友人から通報があり、夜中にわたしが来てみると、死体がみつかりました。鈍器で後頭部を殴られたようです。携帯電話などはみつからず、持ち去られたと思われます」

「なにか気になる点は?」と閉紀が尋ねる。

「やはりハープです。これは作曲家の持ち物ではないのです。ミーントーン・クランによる見せしめの犯行ではないでしょうか」

「あのピアノはどうだい?」

「作曲家の血が付着しています。さらに、蓋が開けられ、なかにいろんなものがほうりこまれています。これは平均律を汚そうというミーントーンの狂信者たちの仕業でしょう」

「ほんとうにそうかな」

五度閉紀は、ピアノに向かって行った。ラとミの鍵盤に血がついている。探偵は蓋のなかを覗き込むと、おもむろに椅子に腰掛けて、ピアノを弾き始めた。音楽が始まるーー

わたしが「この曲は…?」と呟くと、「プリペアド・ピアノのためのソナタだよ」と閉紀がなんでもなさそうに答えた。曲は美しかった。

弾き終えると、閉紀は事件の種明かしをした。
「いいかい? これは作曲家のダイイング・メッセージだよ。作曲家は、殴られたあと、意識を取り戻した。そのとき、犯人はいなかった。しかし、通信機器はなく、隣の別荘まで100mはある。そこで、メッセージを残すことにした」

「それはどういうメッセージなんだろう?」
わたしは先を急ぐ。

「プリペアド・ピアノと言えば、作曲家は?」

「ケージ」とわたしが答える。

「そう、ジョン・ケージは著作のなかでも、自分の名前を鳥かごの「ケージ」と引っ掛けて言葉遊びをしている。ダイイング・メッセージは鳥かご。つまり、犯人は……」そこで、思わずわたしは叫んだ。

「あのオウムを飼っている別荘のご婦人!」
とはいえ、長三刑事がいぶかしむ。「だが、動機は……?」

「ふふふ」と閉紀は、10セント硬貨ふたつと1セント硬貨をひとつ、弄びながら答えた。「それは、ご婦人に直接、伺ってみようじゃないか」

こうして、われわれ三人はオウムのご婦人を訪ねた。

「まあ、警察の方が、なんですの。また事件のお話ですか」
長三刑事はこほん、と咳払いをして、「ええ、まあ、ちょっと」と濁す。
五度閉紀は、「そこのオウムと話がしたいのでね」と遠慮なく上がり込んだ。「おーはーよー」と無邪気に話しかける。「おーはーよー」とオウムが返す。

はじめ、わたしたちにはなんのことか、まったくわからなかった。だが、音律探偵の耳は誤魔化せない。閉紀は、こちらを向いてにやり、と笑うと「キーリーエー」とミサ典礼文を唱え始めた。

「キーリーエー」

オウムが返す。「エーレイソーン」「エーレイソーン」。わたしは気がついた。「これは、平行オルガヌム!」閉紀がぱちぱちと拍手をした。

「ご名答。このオウムは完全五度上を歌い返すように訓練されているんだ」

「そんな、まさか!」と長三刑事が驚いた。

閉紀は、テーブルのうえにポケットからセント硬貨をぶちまけた。途端に、ご婦人の顔がひきつった。「21セント……」と呟いて、蒼白になる。

「そう。21セント。純正の三度とピュタゴラス音律の三度の差だ」(*セント=対数の単位)

閉紀は続けた。「あなたはピュタゴラス原理主義、ピュタゴラス楽団のメンバーではないですか? だから、平均律を使い続ける作曲家が許せなかった。世界中の楽器をピュタゴラス音律に調律するのが、あなたがたの陰謀ですからね」

推理は続く。「作曲家は後頭部を殴られていた。犯人に後ろを見せていたのは、見知った人間と会っていたからだろう。この避暑地の近所であるあなたなら、知り合いでもおかしくない。しかし、犯行がバレるのを恐れてミーントーン・クランの犯行にみせかけた。他方で、作曲家はダイイング・メッセージのふたつ目として、自分の血で鍵盤に印をつけていた。ラとミ。これは、ピアノであるとはいえ、ピュタゴラス音律の基礎となる完全五度を暗示している。しかも、Aの音は、ボエティウスの『音楽教程』ではメセー(中心)ともなっている……」

がくり、とご婦人がその場に崩れた。「そうです、わたしはピュタゴラス楽団の一員なのです……」

こうして、音律の世界的な陰謀にかかわる事件がひとつ、解決された。