2016年1月4日月曜日

【本と珈琲豆】カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』中山元訳

カントの読みやすい有名な小論「永遠平和のために」と「啓蒙とは何か」を含む5つの論考をまとめた本。


中山元さんの訳は読みやすく、言葉の選び方も自然であり、慎重でもあると感じる。原文がラテン語の箇所にルビを振るなども親切。なにより、長い解説がついていて、本文の流れを追いながら補足してくれるので、本文を読み終えたあとに復習できる。というわけで、おすすめの一冊。

◆ さて、「啓蒙とは何か」の方はわかりやすい。啓蒙とは未成年状態から脱することであり、「未成年」とは政府や権威によって飼い慣らされた状態のこと。

そこで、もっとも必要なのは「自由」であるとカントは語る。とりわけ「学者として」公的に意見を述べる自由である。これは国家を害することもない。

「学者として」というのは、学位を得て、とか、学問の大家として、という意味ではなく、きちんと筋道立てて議論できる仕方で、といった意味にとれる。誰でもが、市民ならば、学者として意見を主張する権利がある。そういう公論の盛んなところでこそ、社会も人類も成熟してゆく、とカントは考える。

◆「永遠平和のために」の方は、短めでさほど難解な概念もないのに、意外と読みづらい。当時の独特のレトリックと、カントにしてはめずらしく、と言うべきか、はしょりながらぱっぱっと言いたいことを並べている感がある。

いろいろと面白い点、時代を先読みし、さらに処方箋まで与えている点があり、訳者の解説とともにゆっくり楽しめるが、ここでは一点だけ、ユニークな点に触れておきたい。

それは、「国内法」「国際法」とともに「世界市民法」というものをカントが並列していること。カントがよいものと構想する世界の体制は、「世界政府」のようなもののない、国民国家(一民族一国家をおおよそ想定している)が居並ぶ体制であって、それは現在の世界の状況にほぼ合致している。にもかかわらず、「世界市民法」という目新しい発明品が出てくる。

これは、世界の市民すべてが合意して作られる法である。どこまで拘束力があるかは不明だが(本書に記述は少ない)、国境を越えて世界の全員に妥当するようだ。こういうものが、人類の進歩(カントはこの点、啓蒙家らしく楽観的である。人類は進歩し続ける)の先には生まれるだろう、と予測している。いまのところ、世界市民法は実現の種さえ見当たらないが、そういう法があったら、どんな世界になるだろう?と想像するだけで、僕はちょっと楽しい。

【書籍情報】
『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』カント、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2013