2016年1月20日水曜日

"場所の希薄さ"

場所ーーこの不思議なもの。


場所は、そこにいることができるところ。いろんな場所があるーー。

僕にとっては、北海道も札幌も、首都圏の実家も、そこにいることができる場所だが、旅先のゲストハウス(宿)も、喫茶店もひとときの場所になってくれる。図書館は大きく包み込むような場所だ。本が好きだから、本屋さんも。

コミュニティも場所のひとつか。ときおり集まる、趣味の仲間や同窓の友達も広い意味での "場所" みたいなものかもしれない。

場所は居心地がよかったり、そうでもなかったりするが、それとはべつに、移動したくもなる。広く浅い場所の持ち方をするひともいれば、ひとつところで深いつながりを育むひともいる。ちょうど交友関係と同じように。

僕は前者で来たが、むしろ、ひとつところに根を張るーーそこで小さな輪を密にする、そこを中心に豊かな関係を広げる、そういう場所をひとつかふたつ(家庭と職場、のように)もっているひと、その方が安定した人生を築けるように見える。

他方、広く浅い場所たちのなかで彷徨うと、"場所の希薄さ" を感じる。それは空気が希薄なように、生存を少しむずかしくする。それだからこそ、よりいっそう場所もつながりも大切にしなければ、ゆかれない。

とはいえ、どちらの道を選んでも、場所を所有することはできない。場所は誰のものでもない。赤い人(アメリカ先住民)が白い人に向かって、「大地は所有できない」と言ったのに似ている。。。

いつか "場所の希薄さ" から脱出することもできるだろうか? その先は、居心地のよい場所だろうか。ーーそれとも、儚い場所の記憶やひとときのつながりを束にして、抱えてゆくばかりなのか。


今日も本を読む。本がささやかな場所をくれるような気がする。