2016年1月22日金曜日

【本と珈琲豆】『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ(東江一紀訳)

〜書評〜


美しい本だ。装丁も、物語の仕上がりも。これは、とある地味な助教授、ストーナーの生涯を綴った物語。


冒頭の3行で、「1910年に19歳でミズーリ大学に入学した」ストーナーが「1956年に死ぬまで」の小説であると宣言される。そして、「助教授」止まりで、「授業を受けた学生たちの中にも、彼を鮮明に覚えている者はほとんどいなかった。」とつけ加えられる。

これでもう、平凡な私人の人生が300頁続くのだろう、と予想がつく。あらすじについては、ここでは触れない。ただ、静かで辛抱強い語りのなかで、とりたてて偉大なことも、波瀾万丈も、読者を巻き込む嵐もない、と言える。

本書は1965年に初版が出たが、一部の愛好家に細々と読み継がれ、作者の死後には忘れられていたそうだ。だが、21世紀に入って再評価され、イアン・マキューアンが絶賛して大きく売れたという。

この来歴も、60年代以降のロックンロール全盛、ヒッピー・ムーブメント、ベトナム戦争反対などの社会情勢を考えると、納得のいくような気がする。さらに、9.11で火のついた愛国ムードも冷めた頃、ひとりの男の日常を描いた、息の長い物語が目に留められる。穏やかに見えながら静かな情熱に支えられた生涯を綴じる一冊の本に、ふとした愛着が湧く。

作者のジョン・ウィリアムズはインタビューでこう語った。

「わたしは、彼は"ほんとうの意味で"[ここ傍点]の英雄(ヒーロー)なのだと思っています。この小説を読んだ人の多くは、ストーナーがとても悲しい不幸な生涯を送ったと感じるようですが、わたしは、じつに幸福な人生だったと思います。」

これを受けて、ことに最後の数頁を読み返すと、それはたしかに目につかない偉大さ、見えにくい豊かさを湛えている。そっと本を並べた、白い装丁のように。