ボルヘスを読むのは、初めてでしたが、「言葉の図書館」のイメージ通りのひとでした。ホメロスをはじめ、古典的な叙事詩作品、それに思想だとプラトン、ショーペンハウアーは何度も言及があり、好意的だと自ら述べている。
そして、時間軸と因果系列を無視して、印象に残った書物の記憶、それを自由自在に組み立て直して「めくるめく言葉の羅列」のようなエッセイをものする。ボルヘスの時間と空間は順序立てられず、フレーズ、文章の響き合いと、(読み手の連想のなかでの)偶然の出会いによって、新たに系列化し直される時空間のようです。
しかし、それは奇を衒ったり、博識をひけらかしたり、実験的な遊びをするためではなく、きちんと(ボルヘス流の)筋道を追って話したいことを展開するため。自分に誠実な書き手。
引用してみよう。
「マラルメによれば、世界は一冊の書物に到達するために存在し、ブロアによればわれわれは魔術的な書物の節、あるいは単語、文字でしかなく、その絶え間なく書き足されていく書物はこの世界に存在する唯一のものである。つまり、より正確に言えば、それが世界なのである。」(1951)
「一冊の書物はけっして単なる一冊の書物ではないという単純かつ十分な理由から文学は無限である。書物は独立したものではない。それはひとつの関係、無数の関係の軸である。」(1951)
難を言えば、ボルヘスは室内に閉じこもり、そこでなお無数の書物を渉猟しながら、「書物世界」を構想する人物に思える。その「閉ざされた」「室内の」感じが、僕には引っかかる……。僕にとって「本」は、オープンで外へと開かれたもの、自然のなかで風にめくられているものだから。