2016年2月11日木曜日

世の中のなりゆき

以前、高校生のとき、社会人の先輩(OB)が教室にやってきて話をした。「世の中の現象は、振り子のように揺り戻しが来るものなんだよ」という言葉が印象に残っている。

わりとシンプルなことで、右の極に触れたら、あとは左へ揺り戻してゆくし、その逆もあって、くり返しながら、進展もしてゆく、というような漠然とした法則の話でした。

なるほど、そんなものか、と思ったけれど、けっこうこの話のありがたみを感じることが以来ある。

たとえば、ガラケーからスマホへのシフトが起こったあと、ガラホと呼ばれるようなガラケーへの揺り戻しが起きたり。

冷戦時代は反共に染まったアメリカで、いまはバーニー・サンダース氏のような自称「社会主義者」が大統領選で大きな支持を獲得したり。

先日、友人と会ったら「アナログレコードの店にゆこう」と言われて、いかにもレトロなお店に入った。ビートルズの限定盤が1万円近くする。「温かい音がするんだよ」と友人談。世界的にも、英米を中心に、かな?、LPレコードブームが起きているよね。

そんなわけで、社会現象をみてゆくときのひとつの視点として、「振り子の揺り戻しが起こる」というのは面白い。


もうひとつ、振り子はただ揺れているわけじゃなくて、言ってみれば、前進もしている。それがどこへゆくかというと、こちらはほんとうに予測できない、というのが僕の実感。

ウンベルト・エーコとジャン・クロード・カリエールの対談『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を読んでいたら、こんな記述があった。いわく、1950年頃のSFではいろんなことが書かれたけれど、誰一人、プラスチックがこんなに生活のなかにあふれることを予想した者はなかった、と。

SFは科学に関する想像力の駆使だろうけれど、未来予想としてはあてにならないのかもしれないね。

キューバ危機のような瀬戸際もあったものの、SF的な世界観で盛んに描かれた「核戦争後の世界」はいまでは見向かれない感があるし、月世界旅行なり、宇宙開発全般が、SFの想像力に比べれば、ほとんど進展していない。

そして、テロにしても、9.11後に法制化で対策を打ったように、事前には21世紀がテロの危機にみまわれるとは想像されていなかったと思う。冷戦後は、大国に抑圧されていた小国でナショナリズムが台頭して、独立戦争や内戦が吹き出すかもしれない、という予測はあったけれど、どうもいまの状況はまたちがう。

***

というわけで、「振り子の揺り戻し」はしばしば起こるし、ある程度、予測できるけれど、その振り子自体がどこへ向かっているのかとなると、一寸先も見えない。社会現象について、そんな風に思う。