2016年3月26日土曜日

【哲学エッセイ】場所と人


場所というのは、ひとの記憶と結びついている。僕らが「場所」を大切にしたり、場所への愛着をもつのはそれがひとと時間を育んだ場所だからだ。


先日、「哲学カフェ」で "Home(我が家、故郷)" というテーマで話をした。そのとき、参加者から出た言葉は「時間や記憶」であったり、また、「切っても切れないひととのつながり」であったりした。

"Home" というのは第一義的には「場所」であるけれども、それは「切っても切れないひととのつながり」を「時間」をかけて育んだ場所であり、その「記憶」が "Home" を "Home" たらしめているとも言える。

僕は中高一貫校で学んだが、男子校だったこともあり、お互いに気安く、隔たりのない交わりがあった。いまでも、新年会で会う仲間たち、個人的につきあいのある仲間と僕を結びつけるのは、学校という場所である。とはいえ、母校そのものへの愛着はすでにあまりない。むしろ、僕らの心なり記憶のなかなりに共通の「場所」ができているかのようだ。

札幌では、僕は「お昼の読書会」というイベントに参加するが、ひと月に一度、同じ広々したカフェの一角で開かれる。そこへゆくと、毎回、メンバーも異なるし、そもそも回りにはカフェのお客さんがふつうに飲食しているので、固有の空間でさえないのだが、「お馴染みの仲間と、その空気」のようなものがあり、落ち着く「場所」になっている。

こちらは読書会「本のカフェ」

こうして見てくると、面白いのは、僕が「場所」と呼びたくなるものは、そこに集まるひとたちが作る雰囲気をもつことがわかる。そして、それはそのひとたちと時間をかけることで、だんだんと記憶のなかに形成されたガスの雲(宇宙の比喩で言えば)、そのようななにかだ。

ひとにとって、実際に "Home(我が家、故郷)" であったり、またはそう呼びたくなるような場所をもてること、そこで安心したり、休息したり、居心地の良さを感じることのできる「場所」をもつことは、大切なことに思える。