2016年5月17日火曜日

【本の紹介】アラン『幸福論』


これは名著だと思う。エスプリの利いた実践的なオプティミスム(楽観主義)の本。精神論でないところがよい。

アラン(1868-1951)は、フランスの文筆家でルーアンの新聞に「日曜語録」を掲載し始め、プロポ(哲学断章)と呼ばれるスタイルを確立。文庫版で3,4ページの分量に自由気ままな短文を書く。生涯に5000書いたというが、そのうち93をまとめたのが『幸福論』である。


断章の集まりだから、「論」というまとまった構成はない。ぱらぱらっとめくりながら、気に入ったところを読める。だが、フランス風の警句や諷刺、わざとの気紛れが文章を単調さから救いつつ、晦渋にしている部分がある。

さあ、エッセンスになりそうなところを抜いてみよう。

不機嫌はよくない、という論調のなかでアランは言う。

「気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。判断力ではどうにもならない。そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。」

「ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段である。」

これは、「ほほ笑みたまえ」のプロポから引用したのだが、アランのロジックはちょっとひねていて、「ほほ笑む」ことで筋肉を動かし(なぜなら、われわれの随意になるのは筋肉だけだから)、そのことで「内臓の血液循環」がよくなり、不機嫌が治る、という話。

けっして「ひとに向かってほほ笑みかければ、みな、幸せな気持ちになりますよ」と言っているのではないことに注意しよう。

次に、「心の領域の病気にも、また肉体の病気の初期症状にも同じく、リラックスさせることと体操とが必要なのだ」

これも「体」の動きから入れ、という「治療法」である。「気分」や「情念」をアランはいつも警戒しており、それが「考えること」によって解決すると言わない。

「あくびの技術」というプロポもあり、あくびは意識的にすることもできるし、ひとに伝染もする。それで、「深刻な気分はふっ飛んでゆく」。ユニークな箇所。

また、アランは「礼儀正しさ」に何度も言及するが、これも「形から入れ」の教えである。夫婦間であれ、他者に対してであれ、「衝動的気分」や「いらいら」「不幸」を表現するのを抑制すること、そうして表に出さなければ、自然と収まってゆくし、ひとにも移らないという考え。アランは礼儀正しさを「荒ぶる情念を抑える体操なのだ」とも言っている。

全体に、文体も内容も面白みに富んでいる。読み進めると、上機嫌になれる本。

【書誌情報】
『幸福論』、アラン、神谷幹夫訳、岩波文庫、1998