2016年7月16日土曜日

【本の紹介】『クレーヴの奥方』ーー緊張と弛緩

<あれこれと雑談も交えながら、「緊張と弛緩」という芸術観に照らしてみる。>



『クレーヴの奥方』は17世紀に書かれたフランスの小説で、心理描写に重点を置いたことから「近代小説の祖」と評価される。

あらすじは、クレーヴ夫人が結婚後、さる公爵と恋に落ち、初めて大恋愛を知るが、夫への義務や複雑な心情から、その求愛を退けようと葛藤する。結末やいかに。16世紀のフランス宮廷を舞台にした歴史小説の趣もある。

読んでいて、ふとよくできた少女漫画を連想した。みんな、生活の心配をしなくてよい貴族の身分であり、恋愛だけがすべてのような日常を送り(その恋愛が宮廷生活における政治生命とも直結してはいるが)、美男美女揃いの主要な人物は三角関係(夫婦と公爵)を作って、恋の苦悩がヒロインを中心に描かれる。ーーこのあたりは、いまでこそ古典文学だが、当時は結末に向かって「はらはらどきどき」する「娯楽小説」だったろう、という訳者あとがきに納得する。

その文体も、硬質で叙事的、わるく言えば平坦で、前半はとくにそうである。「誰々が何々しました」式の文が続く。大恋愛もさしたる劇的なシチュエーションや描写なく、始まる。

しかし、そこからがすごい。これ、ラファイエット夫人が道ならぬ恋を実地で経験したでしょう、というリアリティをもって心理の動揺、猜疑から嫉妬までが、蝋燭の揺らめきのように綴られる。

あえてリアリティのなさを突けば、クレーヴ夫人が16歳〜17歳の1年間のお話に設定されているけれど、恋愛経験も人生経験も豊富でなければ、こんな展開も心理の変化もありえない、というストーリー。クレーヴ夫人、せいぜい20代後半か、40歳でもおかしくない。ラファイエット夫人が44歳のときに出版されたそうだけど、円熟期の作風が、人物造形の奥行きにも反映されているか。

話を戻すけれども、後半は怒濤のように恋愛が展開する。めくるめく些細な事件が次から次へ起きて、大きな出来事へ結びつき、三角関係である3名の心理は揺れに揺れ、船酔いを起こしそうなほど。読者も貪るように先を読んでしまうのではないかな。

そこで、「緊張と弛緩」の話が浮かぶ。ある彫刻家から伺ったのだが、「芸術には緊張と弛緩がいる」と。

なるほど、とくに文学や音楽は時間のなかで流れてゆくから、深刻で厳しい状況ばかり続いたり、逆に笑顔とやさしさと安定だけで物語が進めば、しっくりこなくなる。緊張と弛緩の交互のリズムが、ほどよい読み心地(や聴き心地)を作り出す、というのは普遍性のある主張だと思う。

その点、『クレーヴの奥方』は例外に属する。前半が「弛緩」した叙述で始まり、半ばから後半にかけては息つく間もなく、畳みかけるような展開で「緊張」を強いられ続ける、特異な本である。けれども、そこがよい意味で単調にできており、かつ、後半の心理的な強度はもはや結末に関係なく、読み手を惹きつける。それは凄まじさを伴う面白味だ。

(だから、「この結末は〜ところが不満だよね」「ここで〜という風に行動しないのは不自然だ」といった意見は、娯楽の談義ならともかく、批評としてはさほど意味がないようにも思う。筋の現実性よりも強度(緊張の高さ)が作品を特徴づける)。

また、余計なことをつけ加えておくと、19世紀の小説ではよく失恋した女性が失神したりするけれど、この作品では心理的な動揺のさなかで、強烈な意志を示すクレーヴ夫人はほとんど理念的な人物像にも思える。(ふつう神経がまいっちゃうのでは)。

* 最後にひとつ、面白く気に掛かった箇所があるのだが、それはヌムール公が落馬したとき、宮廷のひとびとが並み居るなか、クレーヴ夫人が隠すべき愛情を表に出してしまうシーン。ここは、『アンナ・カレーニナ』の前半で、アンナがヴロンスキーの落馬に動揺を示して、恋心を露わにしてしまうシーンと重なる。トルストイの「元ネタ」はここなのかな?

そんなわけで、後半のただならぬ緊張感の持続が面白い本でした!カフェインたっぷりの珈琲みたいな本だね。

【書誌情報】
『クレーヴの奥方』、ラファイエット夫人、永田千奈訳、光文社古典新訳文庫、2016