2016年7月25日月曜日

【本の紹介】『パールストリートのクレイジー女たち』トレヴェニアン


2015年度に、日本翻訳大賞の候補作になった。江國香織さんの訳であり、文体や雰囲気まで「江國香織」風と感じられる。

大恐慌時代から第二次大戦が終わるまでのアメリカ。パールストリートはスラム街で、主人公の「僕」と妹、母が住んでいる。父親はペテン師で出奔している。


「クレイジー女たち」のタイトルは原題通りだが、そんなにエキセントリックな、または精神に異常をきたしているような、女性ばかりが出てくる物語ではない。

むしろ、主人公の少年の目を通して、大きな時代の流れ(大恐慌とヨーロッパでの大戦)と貧しい街の身近なひとびとがリアリズムで描かれる。少年の家族愛や隣人への視線には、ドライなヒューマニズムも感じられ、そこは20世紀アメリカ文学の伝統を継いでいる。

500ページと長く、エピソードは多いが、ラジオが彼の世界を一変させるシーンが好きになったので、引用する。

「僕はエマーソンラジオの前に何時間も立って、想像力に任せてむさぼるように聴き入ったものだ。…略…ラジオは解放者でもあったのだ。ノースパールストリートの外側に、僕をいつでもすぐに連れだしてくれた。それは重要なことだった。近所の住人の大半がそうであるように、残る生涯をずっとここで、公共福祉に頼って生きていくのかもしれない、近所の人たちと同じように、自分が尊厳も気概も望みも失い、精神的に衰弱して、失業手当をただ生きるのに必要なものというだけじゃなく、市民の基本的な権利だと考えるようになるのかもしれない、というしつこい恐怖に僕は囚われていたから。」(p.110)

「母がスープとサンドイッチをつくり、僕たちは完璧な一日の終りに、暗くした部屋に座ってラジオを聴いた。どういうわけか、ラジオ番組は暗闇で、ダイヤルだけが琥珀色に光るなかで聴くのが最高なのだ。」(p.116)

最後の数ページは、急に時間の流れを速めながら、おおよそハッピーエンドが描かれる。

【書誌情報】
『パールストリートのクレイジー女たち』、トレヴェニアン、江國香織訳、集英社、2015