2016年10月25日火曜日

【再読】アンナ・カレーニナ1,2巻


アンナ・カレーニナの新訳。光文社の古典新訳シリーズは信頼が置けるが、「いま、息をしている言葉で」のコンセプトがときには単調な訳にもなる。


望月訳は「読みやすく、平易な言葉遣い」と思って1,2巻を読んできたが、どうも逐語訳らしく、平坦に感じるところあり。また、正しい訳なのだろうが、おそらく直訳のために意味が通りにくく読んでいて引っかかる箇所が数カ所あった。その点では、かえって「読みやすく」ない。もっとも、原文に当たっていないので、確かなところはわからないが。

以下、批評的なことを2点。

今回、十年ぶりに再読して感じるのは、カレーニン(アンナの夫)の人物造形の丁寧さ。初めて読んだときには、家庭においても官僚的な思考しかできない堅物で、冷徹な保身の男、というイメージが強かった。いまもそれは払拭しきれないものの、思わず人間味をさらけ出すシーンが何箇所もあり、単調なキャラクターとして描かれていないことがわかる。トルストイの手は細部まで行き届いている。

もうひとつ、リョーヴィンの農業経営のパート(それなりに紙幅を割く)が「退屈」という読者は多いらしく、あのナボコフもここはよくない、と指摘した、と解説にある。良し悪しについてはなんとも言えないが、時代の核心を忠実に映すのも文学、という点で、またリョーヴィンの現場主義、非論理的な思想の発展、激情的な性向を描ききる点では、活きている。

感想としては、リョーヴィンとキティが社交の席で、ふたりきりで暗号を交わしながら、恋心を確認するシーンが印象的で、以前から好きである。リョーヴィンが百姓といっしょに草刈りをして、肉体の限界に達しながら、労働を尊ぶシーンも強く心に残る。それを知的、観念的でなく、ミレーの絵のような美しさと素朴さで描くトルストイの力量に感じ入る。