フランス・ルネサンス期のモラリスト、モンテーニュのエセーを読む。白水社、宮下志朗による新訳。ラブレーの新訳も素晴らしかった訳者だ。
現代でも盛んな「エッセイ」(=随想、随筆)の原点となったのが、このモンテーニュの『エセー』(語源もここ?)だ。日々、考えたことを数ページでひとつのテーマとして、「つれづれに」書くスタイル。
短い序で、モンテーニュは「わたし自身が、わたしの本の題材なのだ」と書いている。そして、「読者よ、これは誠実な書物なのだ。この本では、内輪の、私的な目的しか定めていない」「わたしは、親族や友人たちの個人的な便宜のためにこの本を捧げた」。
つまり、モンテーニュは自分を素材にした「エッセイ」が、広く読まれて古典になるためではなく、「たわいのない」こと、けれども本人にとって趣のあることがらを家族や友人に遺そうと、いわば趣味や日課で筆を取ったようだ。
さて、それならプライベートな自分語りに終始するのかというと、さにあらず、モンテーニュ自身の生活にはほとんど触れない。代わりに、古代ギリシャ・ローマの故事、また、最近(15,16世紀)のイタリア、フランスの政情、戦争などに必ず触れながら、話を進める。
とくにプルタルコスとセネカが好きだと明言している。それにしても、あまりにローマ古典からの格言の引用が多くて、びっくりさせられる。
そうして、運命や幸福の話から俗っぽい話題まで縦横無尽に書き尽くす。穏やかで謙遜した態度で、書きぶりは気取らず、けれどもなかなか読み解きは難解な、博学の士の随筆。
好きな箇所を引用したい。
「近代(モデルヌ)の学問の王者であるアリストテレス」(1巻 p.251)…「近代」なのか、という驚き。
哲学について。「本当は、これほど陽気で、元気いっぱいで、楽しくて、茶目っ気たっぷりのとまでいいたくなるようなものはないのです。」(1巻 p.278)
「たしかに書物は楽しい。とはいえ、それと付き合うことで、結局は、われわれにとってもっとも大事な、快活さと健康を失うというのなら、そんなものとはおさらばしようではないか。」(2巻 p.147)
さすがは、フランス「モラリスト」(道徳的なことがらや、よい意味での処世の術を機知の利いた言葉で伝えるひとたち)の系譜に連なる大御所。