2017年1月11日水曜日

「屈託」ーー色川武大の世界

色川武大を読んでいると、昭和の世界を下から見上げるようななかに、彼独特の世界が見えて面白い。

色川武大(いろかわたけひろ 1929-1989)は、戦後に人格形成期を迎え、混乱の浅草を歩いたりしながら、二十歳を過ぎるまでの数年間、博奕で喰っていた。その原体験を色濃く残しながら、残りの人生を主に作家としてしのいだ人物。

自伝的要素の強い小説より。

「私は誰からも一人前の人間と見られていないし、そのとおりだと自分でも思っているけれど、好き勝手に日をすごしているように見える私ですら、外界との条件で心を開かれたことはない。呑む打つ買う、何をやっても、自分がバランスを崩せたと思うほど遊べたことは一度もない。
 そんなことで、屈託が消えるものでないこともよくわかっている。人は皆、何にも慣れず、自分の中に異物反応を貯めこんで、苦しく暮らしている。」(『百』のなかの「連笑」より)

それから、結婚する弟に向けて。

「おい、お前、こんな程度の晴れがましさを本気で受入れちゃ駄目だぞ。俺もお前も、晴れがましさとは縁がうすいが、それでも、烈しい喜びを得るつもりで生まれてきたことにかわりはないんだぞ。式次第で生きるなよ。コースは一応もうできたんだから、あとはどうやってはみだしていくかだ。とにかく、淋しく生きるなよーー。」(同上)

この前の部分では、結婚式に出たことがない、と述べている(伝記的に事実かは知らない)。結婚式に背広を着て出て行くのは、葬式よりもっと苦手だそうだ。

『うらおもて人生録』やほかの作品を読んでいても、彼は自分を「劣等(生)」だと言うが、そこにルサンチマン(うらみがましさ)はこもらない。ふしぎな感性だ。

ふつうのひとが一段でも高いところへ階段を上り、快適な生活をするのをよしとするところ、色川武広は好んで落ち窪んだところにぶらぶらしている。にこっと笑う。けれど、それは世間の大街道をゆくひとを馬鹿にしたり、蔑んだりするためではない。ただ、ここも落ちこぼれには悪くない場所なんだぜ、喜びへの強い思いは捨てないのが矜持かもな、あとはただ笑っているしかない、といった心構えだ。

色川武大のキーワードをひと言で言えば、「屈託」だろう。この言葉は作品のうちに何度も出てくる。ひとはみな、多かれ少なかれ屈託を抱えている。その屈託と折り合って、まあまあとやり過ごしてまたやっていけるかどうか。ーーそんな風に、おおらかであり、屈折も隠さない。

この「屈託」は西洋的な感性には馴染まないだろう。あえて言えば、ニーチェの「ルサンチマン」なり、ハイデガーの「(実存的な)不安」ということになりそうだが、「世界-内-存在」に投げ出された現存在が先駆的決意をするまで続く、不安という気分。そういったポジティヴ/ネガティヴの二分法で、生活感の薄い術語によって概念を立てる西洋的な思考より、僕はずっと親しみを、色川武大の文章に感じる。