2017年5月19日金曜日

ヴォルテール『寛容論』を読む



『寛容論』は18世紀を生きた啓蒙思想家、ヴォルテール晩年の著書。寛容の美徳を包括的な視点のなかで説く。南仏のトゥルーズで起きた「カラス事件」をきっかけに書かれたが、時事的な側面は少なく、哲学として寛容が考察される。



「しかし、あらゆる迷信のなかでもいちばん危険なのは、自分の見解のため隣人を憎悪する迷信ではないだろうか。」p.153

ここには普遍的な寛容が説かれている。

「自然はあらゆる人間に教えています。『私がお前たちをすべて虚弱で無知なものとして生んだのは、お前たちがこの地上でしばしの生を営み、その亡骸が大地を肥やさんとしてのことである。お前たちは力弱きものなのだから、お互いに助け合わねばならぬ。お前たちは無知なのだから、お互いの知識を持ち寄り、お互いに許し合わねばならぬ。』」p.179(「結着と結語」より)

ヴォルテールは『カンディード』においても、人間のもろさと弱さ、その運命のはかなさを繰り返し意識させている。ある種のペシミスムであるが、『寛容論』は、そのなかでいかに生きるかという積極性とポジティヴさを併せもつ。

なお、『カンディード』もリスボンの大地震に触発されている部分が大きく、ヴォルテールは時事に敏感だったとわかる。

ヴォルテールの信仰は、「理神論」(神の存在は認めるが、世界への介入は認めない)とされるが、キリスト教のどの宗派に対しても距離を置いたようだ。信仰から「自由・平等・博愛」へ価値の基準が転換されるのは、ヴォルテールの死後である。